最近、あるニュースを受けて、筆者の頭に「澱(おり)」のような物が沈殿していた。その「澱」が浮き上がってきたのが、7月26日未明に発生した障害者施設やまゆり園(神奈川県相模原市)の殺傷事件だ。単独犯の犠牲者数としては戦後最悪、「八つ墓村」で知られる昭和13年の「津山三十人殺し」(通称・死者数30)に次ぐが、今事件では19人の死者すべてが匿名のままである。
8月初め、現場に4日ほど通った。「入所していた方とご面識は?」と献花に訪れた人に報道陣が群がる。犠牲者すべての実名を警察が伏せたため、献花者から死亡者の肉親や親しかった人を突き止めたいのだ。花束を置いた筆者まで囲まれた。
事件直後、神奈川県警は死亡者についてA子さん19歳、S男さん43歳、など性別と年齢だけ(怪我人は性別のみ)発表した。この異例措置について「施設の特性上、ご本人や遺族のプライバシ―保護の必要性が極めて高い。19人すべての遺族から匿名の希望があった」と説明したが、混乱している多数の遺族の意思をそんなに早く把握できるのか。「名を出すと記者が押し掛けますよ」と誘導した可能性もある。園を運営するかながわ共同会に確認すると「19人の御遺族が反対したと聞いております」とだけ回答した。
警察が都合よく歪めて発表する懸念も
過去、事件や事故の被害者について警察はすべて遺族の了承を取ってから実名発表してきたわけではなく、基本的に間髪容れずメディアへ発表してきた。風俗店の火事などで死者名が伏せられるのは「世間体」に配慮したメディアの判断だ。
本事件では、かりに県警がメディアに実名を発表したとしても、メディア側の判断で結果的に匿名報道というかたちになっていたかもしれないが、メディア判断で実名を伏せることと当局が伏せることは意味が違う。県警記者クラブは匿名発表に抗議している。警察が当初から隠せば、遺族の意思の真否確認ができない。被害者取材が難しくなれば、警察が事件内容を都合よく歪めて発表することもできてしまう。
献花した男性は「新聞に名前がなく知り合いの入所者の安否がわからなかった。園に電話して無事だと知った」と語る。「神奈川県重症心身障害児(者)を守る会」の伊藤光子会長は「実名報道は、まだご家族には無理かもしれないけど、事件がすぐに風化するのでは」と案じていた。