8月6日に東京で行われた追悼集会で、被害男性の姉は「事件前は弟の生涯を隠すなと言っていた親に事件後は、いろいろ言われるから弟の名を出すなと言われた」(発言主旨)と語ったと報じられている。家族や肉親に知的障害者がいることを隠したい人もいる。家族で面倒を見ていないことを知られたくない人もいる。障害者への差別が根強いためか、関係者は神経質だ。
やまゆり園の保護者でつくる「みどり会」の中塚清副会長は当初、「名前を出されたら困る家族もいる。個人的には匿名は妥当と思う」とコメントしたと報じられたが、筆者が中塚氏に問うと、「コメントはしていない。私が答えられる話ではない」と否定した。
障害者支援団体は県に申し入れ
匿名を疑問視する声は障害者団体にも強い。全国知的障害者施設家族会連合会(本部・神戸市)の由岐透会長は「実名発表に強く反対したのは19人のうち6人の遺族だったと聞く。園は職員に異常な緘口令を敷き、入所者の親族らも怒っている」と打ち明ける。事件を取材する全国紙記者は「葬儀社も対外的に偽名を使ったりしている」と話した。神奈川県の障害者支援十団体は匿名を危惧し、「一般的に公表される被害者の氏名がこの事件に関して公表されないのは大きな疑問」と県に申し入れた。
NPO法人DPI(障害者インターナショナル)日本会議の尾上浩二副議長は、次のように疑問を投じる。
「事件や事故では犠牲者の生前が描かれるが、今回は亡くなった方が目に見えない透明状態の存在になった。それぞれに個性があり懸命に生きてきたのに『19人の障害者』とひと括りにされ、歩んできた足跡や彼らの思いが消去されてしまった」
立命館大学生存学研究センターの長瀬修特別招聘教授は「19人の人を記号化してしまうことは『重複障害者は生きる価値がない』という植松(聖)容疑者の考えにつながってしまう」と危惧する(7月31日付産経新聞より)。
実名、匿名問題で最近、気になる動きがある。冒頭に書いた「澱」である。2013年1月にアルジェリアの石油プラントで日揮の社員などがテロに遭い日本人10人が殺された際、政府は行方不明段階で名を伏せた。遺体が帰国した段階で発表した。今年7月にバングラデシュで日本人7人が殺されたテロで政府は当初、名を伏せた。安保法案が制定され、将来ありうる「不都合な死」。海外で落命した日本人の関係者を取材させないメディア対策を、政府は密かに練っているだろう。
今回、神奈川県警は「例外」を強調したが例外が例外でなくなるのは世の常だ。「不都合な死」で政府は個人情報保護や遺族の希望を錦の御旗に「例外」とし、真相を闇に葬らないか。
(文=粟野仁雄/ジャーナリスト)