新型コロナウイルスのパンデミックは一向に終息する気配がない。7月18日時点の数字で、世界で感染者は1400万人超、死者60万人超と猛威を振るい続けている。その最中の6月30日、『インフルエンザの新型、中国で発見、「世界的流行も」と科学者』(英国BBCニュースオンライン)という不吉なニュースが世界を駆けめぐった。
論文を発表した科学者も「今はまだ緊急対応が必要な問題ではない」としながら、「ヒトに感染する“すべての特徴”を備えており、注意深く監視していく必要がある」とも指摘している。
論文が掲載されたのは「PNAS」(米国科学アカデミー紀要・電子版)。下に要約を示す。
「豚はパンデミックを起こすインフルエンザウイルスの中間宿主であり、豚のインフルエンザウイルスの体系的な監視は、次のパンデミックを事前に警告するための重要な手段となる。我々は2011年~2018年まで、北京市を含む国内10省の養豚場、食肉処理施設の豚をモニターし、3万頭以上の豚から検体(鼻腔拭い液)を採取・検査を実施した。
その結果、2016年頃から疑わしいインフルエンザウイルスが豚に蔓延し始めた。このウイルスの遺伝子は、2009年にメキシコで発生してパンデミックを引き起こした豚インフルエンザウイルス『A/H1N1 pdm09』に類似しており、遺伝子の一部が入れ替わっていた。我々はこの新型豚インフルエンザウイルスを『G4 EA H1N1』と命名した。
G4(ジェノタイプ4)は類似性のある9タイプの遺伝子型の4番目、EAはヨーロッパのA型鳥インフルエンザウイルス由来であり、H1N1は亜型(雑種)でウイルス表面の抗原タイプを示す。人間に近い気道上皮細胞を持つフェレットにG4ウイルスを感染させると、早い増殖性、強い感染力、深刻な病原性を示し、既存の免疫が機能しないことがわかった。
養豚場や食肉処理施設で働く従業員338人の抗体を調べたところ、10.4%に当たる35人が陽性反応を示し、すでにG4ウイルスに感染歴があることが判明した。現時点ではヒト→ヒト感染は起きていないが、この新型の鳥型豚インフルエンザウイルスがさらに変異すれば、次のパンデミックを引き起こす可能性が最も高いウイルスであることがわかった」
この論文に対するWHO(世界保健機関)と中国政府の反応は驚くほど早かった。WHOのハンス・トロエドソン中国駐在代表は、論文の電子版が公開される前日の6月28日に記者会見を行い、「中国の豚インフルエンザ感染症対応の準備は十分で、これまでのところ感染が確認された人はいない」と語った。中国外務省の趙立堅報道官も30日の定例会見で「この問題に関して中国は状況を注視している。われわれはいかなるウイルスについても、拡大とまん延を防ぐためあらゆる必要な措置を講じる」と述べて、この問題に素早く蓋をした。
豚はあらゆるインフルエンザウイルスの中間宿主
そのせいか、この問題に対する報道はピタリと止んだが、塚本康浩京都府立大学学長(感染症学)は次のように警鐘を鳴らす。
「今回の新型豚インフルエンザウイルスと、2009年にメキシコでパンデミックを起こした豚インフルエンザウイルスはほとんど一緒みたいですから、そのときに豚から人に来たのが、また人から豚に行ったりして、いろんなウイルスが混ざった可能性があります。豚を扱う仕事をしている人たちは、ひとりで多数の豚をハンドリングするわけですから、豚から人にウイルスが感染する可能性は高いし、今回の新型ウイルスもすでに豚の間では蔓延しているのかもしれません。
これまでのインフルエンザ感染の歴史を見ると、鳥から豚へ行って、豚から人に行くパターンが一番多いんですね。豚はあらゆるインフルエンザウイルスの中間宿主なんです。しかも一匹の豚が違う種類のインフルエンザウイルスに同時感染することもあって、違うウイルスの遺伝子が混ざっていろんなパターンのウイルスができてしまう。豚は変わった動物といえます。日本にはむちゃくちゃな頭数はいませんが、中国やメキシコでは想像できない数の豚を飼っているので、それだけリスクは高いと思います」
豚は研究者の間でもウイルスの「混合容器」「新型ウイルス発生装置」として認識されている。コロナウイルスの場合、12の遺伝子ゲノムは1本の鎖状だが、インフルエンザウイルスの場合、8つの遺伝子ゲノム(HA、NA、PB2、PB1、PA、NP、M、NS)は最初から8つに分節されている。
そのため、豚の細胞内で異なるウイルスが混ざると遺伝子の交雑が起きる。例えば豚が鳥のインフルエンザウイルスと人のインフルエンザウイルスに重複感染したとしよう。すると豚の細胞内では、鳥インフルの8本のRNAと、人インフルの8本のRNAがランダムに組み合わさる。これを遺伝子再集合と呼ぶ。組み合わせは理論上、2の8乗、256通りとなる。
豚を常にモニターして、どんなインフルエンザウイルスが誕生しているのか、それをチェックすることが重要なのはそのためだ。豚が新型ウイルスの発生装置だからである。
「この新型ウイルスの感染力や病原性はまだわかっていません。それは人から人に感染して初めてわかります。今回はフェレットで感染実験をしているようですが、人から人へ感染するかどうかわかっていないので、まだなんとも断言はできませんが、今回の論文は中国の研究者たちがかなり前から研究していたものの集大成で、論文もかなりしっかりした論文です。学者がきちんと論文であげてきた新型インフルエンザウイルスなので、少なくとも培養細胞での感染実験ができているわけですから、感染制御実験でタミフルなどの抗インフルエンザ薬が効くのかとか、そういうことを調べておいたほうがいいと思いますけどね」(塚本氏)
CDC研究チーム「すでに豚から人への感染」
この論文の共著者は23名。英国ノッティンガム大学獣医学部の中国人研究者1名を除く22名は、全員が中国国内の大学や研究機関の研究者で、所属機関は以下のとおり。
中国農業大学、山東農業大学、中国国立インフルエンザセンター、国立ウイルス制御および予防研究所、中国疾病管理予防センター(CDC)、微生物学研究所、インフルエンザ早期警告センター、中国科学院、WHO協力センター。
では、なぜこの論文の内容をCDCとWHOがいち早く否定したのだろうか。以下は論文に対するCDCの見解(7月9日)である。
「総合的な分析を行った結果、新型の豚インフルエンザウイルスはインフルエンザが大流行するリスクを高めるものではなく、これがただちに公衆衛生上の脅威となることはないと考えている」
しかし、論文の著者でもあるCDC研究チームの主任は「すでに豚から人への感染が示されたことで、このウイルス株がパンデミックを引き起こし得る重要な特徴のすべてを備えている」と結論付けているのだ。著者のひとりである英国ノッティンガム大学獣医学部のキン=チャウ・チャン教授はこう述べている。
「現在は当然ながら、みんなコロナウイルスに気が取られている。しかし、危険性のあるほかの新型ウイルスへの注視は必要で、無視すべきではない」
今月5日には中国北部の内モンゴル自治区の牧童が腺ペストに感染して治療中であると中国国営テレビが報道した。昨年暮れには北京市内の病院でやはり内モンゴル自治区の夫婦が肺ペストで死亡し、北京市内で大規模なネズミ駆除が行われたという。その後も内モンゴル自治区内の21の地域で、捕獲したネズミやウサギ、マーモットなどの齧歯類を検査したところペスト菌が検出されている。
さらに14日、今度はモンゴル保健省がゴビアルタイ県在住の15歳の少年が、齧歯類のマーモットを食べて死亡し、さらに2名がペストに感染して隔離中であると発表。モンゴルではペスト警戒レベル3が発令されたという。
中国は今、新型コロナに豚インフル、そしてペストの感染拡大リスクを抱えているのだ。いずれにしても、新型豚インフルエンザウイルスをめぐる動きには注視が必要といえるだろう。
(文=兜森衛)