大手新聞社長、巨額財テク損の存在を認める!? 合併相手の追及を受け…
時折、小雪の舞う肌寒い曇天だった前日と打って変わり、その日は朝から晴れ上がり、春先らしい3月上旬の1日だった。日亜新聞社長の村尾倫郎が、大都新聞社長の松野弥介と合併で合意した割烹「美松」での会食を終え、帰宅した時に腹痛に襲われてから8日目だった。
腹痛こそ起きなかったものの、気分は月曜日同様に晴れないままだった。愛人の芳岡由利菜の帰国がすべての原因だった。由利菜がニューヨークから船便で送りつけた荷物をペントハウスに運び込んだのは、3日前の土曜日午後だった。別居不倫をあきらめた村尾は土日とも自宅にいて、荷物の運び込みと整理を手伝った。由利菜は上機嫌で、2日間とも夕方には四ツ谷駅周辺で夕食を共にした。
村尾は猜疑心の人一倍強い男だ。夕食を共にするとき、マンションを一緒に出るようなことはしない。村尾が先に出て店を選び、その近所から由利菜の携帯に連絡し、呼び出すことになっていた。この2日間も同様だった。もちろん、帰りもバラバラにする。土曜日は由利菜が自分の自宅の片付けが残っているとかで、市谷左内町の自分のマンションに帰ったので、手の込んだことはしなかった。しかし、日曜日は由利菜が先にペントハウスに戻り、村尾は麹町周辺を散歩して30分ほど後に帰宅した。
いずれにせよ、この2日間、村尾がスキャンダルの露見につながると恐れるような異変を感じることはなかった。安心した2人は日曜日の夜はベッドを共にした。村尾が別居不倫をおくびにも出さなかったこともあり、帰国後2度目の逢瀬を満喫した風情だった。
月曜日の朝、由利菜は午前9時半にペントハウスを出た。内政グループのキャップという立場は、通常なら午前10時半から午前11時半くらいの間に記者クラブに出る。午前10時頃を目安に出勤する村尾より遅くペントハウスを出ればいいのだが、帰国早々ということもあり、由利菜はしばらくの間は午前10時前に記者クラブに出ることにしていた。出がけに村尾に「今週は左内町の自宅には帰らないつもり。それでいいわね」と念押しした。
それが村尾を鬱屈とした気分にさせたのだ。
●引き篭もり社長
村尾が「美松」の硝子戸を開けたのは、午後4時45分だった。
松野と合併で基本合意した際、大都、日亜両社の取締役編集局長の北川常夫と小山成雄の2人に対し、合併後に経済情報に特化した、ネットと紙媒体をセットにした新媒体を創刊する方針を示し、具体策を検討するよう指示した。その時は、1週間後つまり前日にまた「美松」に集まり、検討の途中経過を報告させることになっていたが、予想通り、松野が電話で打ち合わせを1日遅らせ、火曜日にしたいと言ってきて変更になったのだ。
村尾は「引き篭もり社長」と陰口を叩かれているだけに、週1回金曜日の経営会議、月末1回の役員会には出席するが、来客は必要最小限しか受け付けず、社内の報告も側近を通じて聞き、指示を出すのが原則だ。当然、社長室に1人きりの時間が長く、その時は大抵、パソコンのトランプゲームをやっている。
世間は、大新聞社長なら自社のサイトを見るのはもちろん、他社のサイトも頻繁にチェックし、日々のニュースに目を光らせているのだろう、と想像する。言論報道機関の使命を考えれば、それがあってしかるべき姿であるが、現実はそうではない。トランプゲームに熱中する村尾も、新聞などろくに読まず、社長室のCDプレーヤーで演歌に聞き入り、社長車では十八番の演歌を唸る大都社長の松野と大差ない。2人は同じ穴の狢なのである。