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江川紹子の「事件ウオッチ」第77回

姑息な「天皇隠し」現代語訳で誤解を誘発…教育勅語の復権にこだわる信奉者たちの狙いと妄想

文=江川紹子/ジャーナリスト
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姑息な「天皇隠し」現代語訳で誤解を誘発…教育勅語の復権にこだわる信奉者たちの狙いと妄想の画像14日の記者会見で、教育勅語の教材活用を否定しない考えを改めて表明した菅官房長官(画像は首相官邸HPより)

 森友学園をめぐる問題では、肝心な点の事実解明がなかなか進まない一方で、2つのことが明らかになった。ひとつは国家公務員を私設秘書のように使う安倍晋三首相の妻・昭恵氏の公私混同ぶりであり、もうひとつは、現政権やそれに同調する人たちの教育勅語への強いこだわりである。今回は、後者について書く。

教育勅語に対する政権の本音

 稲田朋美防衛相は3月8日の参院予算委員会で、森友学園の幼稚園が園児に教育勅語を暗唱させていたことを肯定的に評価していた点を聞かれ、「教育勅語の核である、例えば道徳、それから日本が道義国家を目指すべきであるという、その核について私は(評価を)変えておりません」と答弁した。

 同月31日には、政府が「勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導」は「不適切」とするものの、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教育勅語を教材として用いることまでは否定されない」とする答弁書を閣議決定した。

 この答弁書にある「唯一の根本」という表現は、閣僚の発言にも何度か出てきた。要するに、「唯一」でなければよいというレトリックであり、「根本のひとつ」もしくは「根本の一部」として扱うことは否定しないという趣旨であろう。

 4月4日には、菅義偉官房長官が記者会見で、道徳を含めた学校教育の教材として教育勅語を使用することについて、「憲法や教育基本法に反しない適切な配慮の下で取り扱うことまでも、あえて否定すべきではない」と発言。松野博一文部科学相も、「道徳を教えるために『教育勅語のこの部分を使ってはいけない』と私が言うべきでもない」と足並みを揃えた。

 さらに、4月7日の衆院内閣委員会では、義家弘介文部科学副大臣が、幼稚園などの教育現場における毎日の朝礼で教育勅語を朗読することの是非を問われ、「教育基本法に反しない限りは問題のない行為であろうと思います」と答弁した。

 教育勅語はできるだけ否定したくない、むしろ今の教育に生かしてほしい、というのが政権の本音であるように思えた。

 こうした答弁には、メディアからも批判の声が上がった。

「日本の大きな転換期だった明治から昭和期にかけての歴史を学ぶ教材として、教育勅語を用いることは、何ら問題がないだろう。ただし、道徳などで教育勅語を規範とするような指導をすることは、厳に慎まねばならない。」(4月6日付読売新聞社説)

「勅語は大日本帝国憲法の下、天皇を君主、国民を臣民とする国家観を補強する目的でつくられた規範だ。史実として学ぶ意義はあるが、子供たちの道徳教材として用いることは妥当ではない。」(4月9日付日経新聞社説)

 しかし、政府は馬耳東風の体だ。

 そもそも、歴史の史料として扱う以外、教育勅語を憲法や教育基本法に反しないような形で用いる方法はあるのだろうか。そんな質問に、政府は回答をはぐらかし続けた挙げ句、次のような答弁書を閣議決定した。

「学校の設置者や所轄庁で……憲法の理念などに反しないような適切な配慮がなされているか、さまざまな事情を総合的に考慮して判断されるべきものだ」

 要するに、学校や自治体の教育委員会の判断に委ねるということだ。以前の森友学園の幼稚園のように、園児に教育勅語を暗唱させるような行為も、政府としては特に問題視しない、という宣言である。それによって、そういう学校が出てくるのを期待しているようにも見える。

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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