中国に付け入る隙…菅首相・茂木外相の危険な“思考停止”外交、日本の国益を損ねる
「日豪円滑化協定は、オーストラリアのモリソン首相が日本政府の優柔不断ぶりに激怒して、なんとかまとまったんですよ」
ある防衛省幹部は、こう交渉の内幕について解説する。日豪円滑化協定は、自衛隊とオーストラリア軍の相互訪問時の法的地位を決めるもので、日米安全保障条約に基づく在日米軍の地位協定に相当する。6年も協議を続け、11月17日に両国の間で大筋合意した。日本にとっては常時駐留しない部隊訪問に関する協定は初めてで、日豪の防衛協力が一層強まることになった。
この協定をめぐっては、豪州のモリソン首相が同月17、18日、帰国後に2週間も自主隔離し議会にもオンラインで参加しなければならなくなるにもかかわらず、菅義偉首相と会談するために訪日したことが話題となった。モリソン氏は「日本との関係は特別だから」と理由を話したことで、日本国内の世論は「豪州がよほど日本のことを大切にしているのだろう」と好意的だったが、内実はまったくの反対だという。先の防衛省幹部の解説。
「今回の協定の合意直前になり、菅政権になって日本側が急に慎重になったため、豪側が激怒し、トップのモリソン氏自らが乗り込んできたというのが真相です。この協定は安倍政権が推進してきた外交方針『自由で開かれたインド太平洋』の実現に向けて、安全保障関連の条約としては珍しく外務省が防衛省をリードするほど乗り気でしたが、菅政権が誕生してからいきなり後ろ向きになった。
菅氏が外交の素人なのはよく知られていますが、協定締結で豪軍人が日本に来て、『第二の米軍を招き入れる』と批判が起き、支持率低下につながると考えたようです。今回の協定は対中国包囲網を敷く上で死活的に重要ですから、豪側としては合意せざるを得ない。そんななかでパートナーとして巨大な敵である中国と一緒に戦う覚悟があるのかとモリソン氏が問いただした。さすがに国家元首が乗り込んできたので、菅氏も恥をかかすわけにはいかず、大筋合意に踏み切ったというわけです」
日中外相会談で「弱腰」と批判殺到
友好国である豪州との関係強化ですら、国内政治情勢に配慮して決断にちゅうちょする菅氏はやはり外交が得意とはいいがたい。原稿を読み上げるだけの官房長官会見とは違い、当意即妙のやりとりが求められる国会論戦だと途端に精彩を欠くようになったが、より高度なやりとりが要求される外交交渉で他の首脳に遅れをとるのは否めない。
その菅政権が尖閣問題に対する中国への外交姿勢で批判を浴びた。11月24日の日中外相会談後の共同記者発表で、茂木敏充外相が沖縄県・尖閣諸島沖の中国公船の活動を求め、「(尖閣の領有権に関する)日本の立場を説明し、中国側の前向きな行動を強く求めるとともに、今後とも意思疎通を行っていくことを確認した」と説明した。これに対し、王毅外相は「一部の真相がわかっていない日本漁船が釣魚島(魚釣島の中国名)周辺の敏感な水域に入る事態が発生しており、中国側としてはやむを得ず、非常的な反応をしなければならない。引き続き自国の主権を守っていく」と強調した。ここで記者発表は終了したが、インターネット上などでは「なぜ反論しないのか」「失望した」などのコメントが相次いだ。外相会談直後の26日の自民党外交部会でも出席者から「中国の主張を黙認することになりかねない」「即座に反論すべきだった」などの批判が相次いだ。
これを受け、茂木氏は27日の参院本会議での質問に対し、会談時に中国公船による領海侵入や漁船への接近などの事例を挙げて「強い懸念」を伝達したと明言し、記者発表の後にも日本の立場を改めて申し入れたと話した。即座に反論しなかったことについては、27日の記者会見で「共同記者発表は会談の概要について主催国と相手国という順番で1度ずつ発言するルールだった」と説明した。
中国のカマシに反論しない茂木氏
今回の外相会談をめぐる動きについて、「大人の対応をとった」とする評者が多い。この会談では新型コロナウイルスで停止していたビジネス往来の11月中の再開が決まるなど、経済面での実利をとったとする見方だ。
筆者は今回の政府の姿勢は「大人の対応」とはまったくいえないと考える。外相会談においては相手国の言い分がおかしいと考えた場合、即座に反論しないと「肯定した」と取られてしまう余地を与えるからである。あとからゴニョゴニョと中国側に「日本の立場を強く要望した」としても、「後日改めて伝えた」としても、「裏側で事務方が調整している」としても、はっきりいって意味がない。
国際社会はヤクザの縄張り争いと一緒で、事実上ノールールの野蛮なパワーゲームである。グレーゾーンの駆け引きでは明確な態度を示さないと食い物にされても文句は言えない。それに、毅然とした態度を示すべき時に示さないと、米国などの同盟国や友好国に対して誤ったメッセージを発することになる。
今回の会談で中国側は新しく発足した菅政権が尖閣問題についてどのような姿勢をとってくるかを見極めるのが主眼だったとみられる。そのために、王氏はあえて強い表現で尖閣問題での領有権を主張し、カマシを入れた。それに対して、公式の場で反論しない菅政権の姿勢を見て、「しょせんカネのためには尊厳を売り渡す弱腰政権だ」との認識を固めたことだろう。共同記者発表は両国とも相手が何を言うか事前に知っているはずであり、その上でのこの日本側の判断は「とにかく争いを避けたい」としか考えていない思考停止の産物である。
近年の日本の対中外交では、とにかく経済重視が強調され、「金持ちケンカせず」が美徳とされてきた。それ自体は間違っていないが、正しくハッタリをかますことと、実際に戦争することはまったく別のことのはずである。そして、そのギリギリの差で勝負するのが外交ではなかったか。
日本社会では記者会見の事前調整といい「根回し」に代表されるような裏交渉を重視する傾向がある。それはどこの国でもある程度は一緒だが、表の公式発言が基本だというのがあくまでも国際標準である。裏交渉はあくまでその補完にすぎない。
ここで歴史の教訓として、1938年のミュンヘン会談を思い起こす必要があるだろう。チェコスロバキアのズデーテン地方帰属問題をめぐり、イギリス、フランス側がこれ以上の領土要求を行わないことを条件にヒトラーの要求を丸呑みした国際会議だ。この結果、ナチスドイツが英仏を弱腰とみて、欧州を席巻することになったのだが、当時の英国政府が戦争忌避の国内世論に流され、宥和政策をとったことが背景にあったことはもっと知られていい。尖閣を「たかが小さな島」と考えるのは大きな間違いである。
国内しか目に入らない菅氏
この2つの菅外交を見て、共通するところがある。それは「極端な国内政治重視」である。豪州との円滑化協定でも国内での支持率影響で慎重になり、中国との外相会談では菅氏肝いりのインバウンド再開などを念頭に置いた弱腰対応に終始した。国内では携帯電話料金値下げでみられるような得意のゴリ押しが使えるかもしれないが、外交はそういうわけにいかないから、即何をしていいか思考停止するというわけだ。菅氏の周囲や部下の話をろくに聞かない姿勢も影響しているように思う。結局のところ、外交は内政の延長なのである。
経済はもちろん重要だが、米国がバイデン政権になってもかつてのような「世界の警察」はおろか「世界のセコム」ですら基本的にはやりたくないと考えている前提に立たなくてはならない。「米国ファースト」の度合いが少し緩むだけだ。菅氏はバイデン大統領から安保条約を尖閣諸島にも適用するとの約束を取りつけたことで満足しているようだが、自らが闘う姿勢を見せないような国に対して、本気で自国民の血を流してまで闘うほど米国もお人よしではない。豪州のモリソン氏が日本に直々に訪れたことも、全体像が見えているとは思えない日本の姿勢を疑問視したからだということも、より切実に考えるべきだ。
筆者は日中外相会談の共同記者発表がお互い一方的に発表するルールになったのは、中国側が「一度決まったルールに盲従する」という日本人の性質をよく見抜いていたからだと考える。中国は思考停止の日本に対して、次の一手を打ってくることだろう。少なくとも軍事上の安全保障において、日本は欧米豪と組む以外にこの大国と渡り合うのは不可能であると再認識すべきだ。
(文=松岡久蔵/ジャーナリスト)