森喜朗氏、メディアに“つくられた”失言、文脈を歪曲報道…暴力的な辞任要求は不適切
あえて、森喜朗氏を擁護しようと思う。
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長を務める森氏は、女性蔑視と取られなかねない失言とその謝罪会見での「逆ギレ」で、もはや国民の敵といってもおかしくないほどバッシングにさらされている。
ただ、筆者が全体を検討したところ、確かに失言には違いないものの、ここまで叩くのは度が過ぎているのではないか。コロナ禍での外出自粛などで増大した国民のストレスの“はけ口”になっていることや、「『失言王』の森を叩くためなら何をしてもよい」という大手メディアの悪意ある報道姿勢が、無駄に問題を大きく見せているように思う。
筆者の主張のポイントは2つ。(1)森⽒の失⾔は前後まで含めると「ジイサンの昭和センスのリップサービス」にすぎず、謝罪した以上、これ以上追及しても意味はないこと、(2)大手マスコミ、特に民放テレビは森氏が「失言を繰り返した」と報道しているが、その「失言」の多くが捏造されたものであり、森氏が謝罪会見で逆ギレした理由はその経緯によるところが大きいこと、の2点である。
失言は森氏のサービス精神から
早速、森氏の3日の日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会での失言についてみていこう(以下、引用は日刊スポーツのものを参照した)。
<これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは、女性がたくさん入っている理事会、理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言います。ラグビー協会は倍の時間がかかる。女性がいま5人か。女性は競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分もやらなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局、女性はそういう、あまり私が言うと、これはまた悪口を言ったと書かれるが、必ずしも数で増やす場合は、時間も規制しないとなかなか終わらないと困る。そんなこともあります。
私どもの組織委にも、女性は何人いますか。7人くらいおられるが、みんなわきまえておられる。みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方ばかり、ですからお話もきちんとした的を射た、そういうご発言されていたばかりです>
この部分が問題となったわけだが、確かにイマドキ、「⼥性は…」と⼤上段で決めつける表現をすること⾃体、時代遅れの感覚であり、男⼥平等や多様性を重んじる五
輪の理念に反している発⾔であることは間違いない。
この発言の直後にはこうある。
<今日、私は実際、しゃべりはないと。そう思って。言われなかったから原稿も用意してなかった>
つまり、森氏はフリーハンドで発言してしまったわけで、事務方との調整なしで「素の森氏」が出てしまったことがわかる。東京五輪の開催を直前に控えて「失言王」との評判がある森氏と何の調整もないまま、長く発言させる事務局も不用意だが、今回の発言は目の前にいるJOC女性理事へのリップサービスだったと考えられる。
昭和⽣まれの中高年の中には「家内も世間の⼥もダメだけど、⽬の前のあなたは素晴らしい」という⼥性をほめる論法が通⽤した成功体験がある人が少なくない。5年も前に会長職を離れたラグビー協会の女性理事を「うちの恥」として持ち出すのはいかがなものかと思うものの、具体的な人物を想起して当てつけの発言をしたというよりは、とっさに「何かいいこと言わなきゃ」とあまり深く考えないで、彼なりのサービス精神を発揮してしまい、悲惨な結果を招いたというのが実態のように思う。
実際、森氏は日本ラグビー協会で2015年まで会長を務めたが、この時期に唯一の女性理事だった稲沢裕子昭和女子大特命教授が東京新聞の取材に対し、以下の様に答えている。
<――実際、森会長にそう(筆者注・「女性がたくさん入る理事会は時間がかかる」と)言われるような心当たりは。
「森さんが会長のころ、私の発言を制止された記憶は、正直ある。私は新聞記者だったので、質問をするのが仕事。しかも、初の女性であり、ラグビーのことを全く知らない素人。理事会でも次々と分からないことは聞いちゃう。止められたとき、どんな話をしていたかは覚えていないが、時間はきっと延びていた。逆に他の理事は見えない序列があるようで、質問しにくく、『代わりに聞いてほしい』と頼まれることもあった」
――森会長に女性蔑視の考えはあったと思うか。
「森さんには、蔑視するという意識はないと思う。ただ、そもそも日本には、『女性は話が長い』と思いがちな風潮が根強くある。そうした女性に対するアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見、思い込み)の一側面ではないか。認識がないまましゃべってしまい、後から指摘されて初めてバイアスがあったと気付く」>
稲沢氏の答えからもわかるように、森氏は「女性を蔑視している意識はない」ものの、「無意識の偏見、思い込み」で話してしまったわけだ。このような「無意識の偏見、思い込み」を持っている人間が東京五輪組織委のトップを務めるのにふさわしくないという批判には筆者も同意する。しかし、森氏が悪意に基づいて発言したわけではなく謝罪もした以上、「失言は失言だからクビ」というのは狭量すぎないか。筆者は経緯や意図も含めた上で発言の「真意」をフェアに見極めるのがメディアの役割だと考える。
東京五輪開催自体が良いか悪いかはともかく、森氏はトップとして7年間、全体の調整などをなんと無報酬で担っており、相当な意気込みで開催に向けて取り組んできたことが著書の『遺書』(幻冬舎)からもうかがえる。森氏本人は今回の大バッシングで懲りただろうから、今後は気を付けるだろう。五輪の開催が直前に迫った今の時期になって、辞任まで求める必要があるのだろうか。
森氏は報道の暴力の被害者
筆者はなぜ今回森氏を擁護しようかと思ったかというと、森⽒は⽇本の政治家の中で歴史上⼀番とっていいほど不当に報道の暴⼒にさらされてきた⼈物だからである。森氏が今回の女性蔑視発言問題でワイドショーなどで取り上げられる際、ほぼ必ずと言っていいほど「神の国」「有権者は寝ていてほしい」などの失言が紹介されるが、捏造されたものだということはもっと知られていい。ジャーナリストの田原総一朗氏と森氏との対談本『日本政治のウラのウラ 証言・政界50年』(講談社)から引用する。(――は田原氏)
<──森内閣時代、森さんがマスコミで批判されたひとつが「神の国発言」ですね。日本は天皇中心の神の国だと森さんが言った。ぼくは自分の番組でもコメントしたんだけど、あれは神主さんの大会での発言だったのね。
森 そうなんです。しかもね、ぼくが呼ばれていたわけじゃなかったんだ。あの日に、小渕さんのお通夜があって、平成研会長になった綿貫民輔さんがお通夜を取り仕切ったんだけど、「森さん、神主の集まりがあるんだけど、代わりに行って挨拶してくれんか」と頼まれたんだ。それで、「わかった」と言って、ぼくが代理で行ったんですよ。 話の内容も宗教というよりは、親子の絆が希薄になった世の中になって困ったものだという話をして、マリア様であれ、日蓮さんであれ、お釈迦さんであれ。
──いろんな宗教の教祖を全部出したけど、その部分は報道されなかった。
森 だって、神主さんたちの集まりで「マリア様を信じましょう」なんて言えっこないじゃないですか(笑)。だから、この日本という国は神様の国だと言ったんです。
──挨拶の冒頭で神の国と言って、その後に観音様もマリア様もみんな出てくるんですよね。
森 そうです。それで、話の終わりに、宗教は人の心に宿る文化であるから、自分が信じるものを大事にして行こう。人間を創ったのは誰かと言ったら、やっぱり神様が創ったと考えるのが正しい。神様が創ったと思えば、親を殺したり子どもを殺したり他人に危害を加えたりすることも少なくなるだろう。宗教を大事にしないから、こういう殺伐とした世の中になるんだという話をしたんです。にもかかわらず、マスコミは神の国のところだけを取り上げた。
(中略)
──二〇〇〇年六月の総選挙の時には、「寝ていてくれればいい」という発言が問題になった。
森 選挙中の世論調査で自民圧勝と出たので、「このまま有権者が寝ていてくれればいいが、そうはいかない」とコメントしたのに、後ろの部分を切られちゃった。
──「そうはいかない」と言ったのを切っているわけね(笑)。
森 選挙中の遊説で新潟に行ったんですが、その日の朝刊も「自民党圧勝」の記事ばかり。新潟も全員当選になっていた。だから、「こういうバカなことはない。なぜかと言ったら、この調査は公示日前後に行われている。まだ、選挙に関心を持っている人たちだけの動きだから、こういう数字が出るのであって、浮動票はこれから後半に出てくる。その人たちが寝ていてくれればそれでいいけれど、そんなことはないんだ」と言ったわけだ>
この森氏の「失言」への反論の内容は筆者も事実だと確認している。森氏が首相を務めたのは2000年4月~01年4月までの1年間だが、この時期にはSNSも普及しておらず、一般人が新聞やテレビの報道を検証する手立てがほとんどなかった。それをいいことに悪質な偏向報道を垂れ流していたわけだ。森氏は自分が福田派に属していたことがこの原因だったとする。
<森 田中派の記者連中からすれば、まさか福田派から総理が出るとは思いもしなかった。だから、ぼくが総理になるというので面白くなかったわけですよ(笑)。それで「よし、森をやっつけてやろうじゃねえか」ということになった。
──やっつけてやるというんだ(笑)。
森 「何ヵ月でつぶせるか」と言って賭けをやった連中もいたと聞いています。「あんな内閣は三ヵ月でつぶしてやる」と言って、キャップたちが気勢を上げたと言うんだからね>
当時の全国メディアの政治部は田中派・経世会の担当が花形であったことは確かだし、記者は自分の担当する派閥の意図を代弁する傾向が非常に強いため、当時の官邸記者クラブにこのような雰囲気があったことは想像に難くない。
この当時の悪意ある報道で「森氏は失言王」というイメージが作られ、首相を辞任した後もメディアの標的になってきたというわけだが、森氏に直接会って話した人間からの評価は真逆ですこぶるいい。亀井静香元金融相も週刊誌の連載で「森みたいなのが総理になれたんだという人がいるが、森が総理までになれたのはズバリ他人への配慮だ。人に対する配慮するのが、物凄く上手かった」 と述べている。
客観性、公益性など何もなく永田町の利害だけに従って、この極端なイメージギャップを生み出した大手メディアは森氏個人への中傷は当然として、有権者に国民の代表たる政治家の誤った印象を刷り込んだ点で非常に罪深い。まさに、マスゴミである。
致命傷となった「えひめ丸」事件も捏造
森氏は当時バッシングをあびた「えひめ丸の事故」についても、ひどい捏造被害にあったという。この事故は森氏が首相在任中の2001年2月に愛媛県立宇和島水産高校の実習船えひめ丸がアメリカの原子力潜水艦に衝突されて沈没し、9人が犠牲になった事件だ。先の対談本から。
<──えひめ丸が沈んで大変な時に総理がゴルフをやっていて、しかも止めなかったと言って、マスコミの集中砲火を浴びた。とくにテレビ局は全部、真冬なのに森さんが夏の服装で帽子を被り、ゴルフをやっている映像を流したわけだ(笑)。
(中略)
森 まだゴルフをしていた時には肝心な情報が入っておらず、「そこにいろ」というのが担当秘書官の指示だったわけですよ。しかし、そのことを言うと担当秘書官がかわいそうだから言わなかったんですよ。新聞は面白おかしく書いてぼくを叩いたけれど、「まあ、いいや」と思っていました。秘書官はいたく恐縮していましたよ。
(中略)
森 画面をふたつに分けて、ぼくが麦わら帽子を被ってゴルフをしている映像とえひめ丸が傾いていく映像を、全放送局が繰り返し繰り返し流したからね。
──あっ、全局が?
森 全局ですよ。NHKまでやった。
(中略)
──あれは明らかに名誉棄損ですよ。一種の詐欺じゃないですか。あの映像を見たテレビの視聴者は、船が沈没した時に森さんがあの格好でゴルフをしていたと思ってしまう。
森 つまり、捏造なんですよ。天下の公器たるテレビ局が捏造していいのかということです>
こういう報道姿勢でやられ続けたら、森氏でなくてもマスコミ嫌いになるのは当然だろう。今回の東京五輪の「逆ギレ」の謝罪会見では、以下のあたりは挑発のようにも思えたのかもしれない。
<――先ほど会長としての発言ではないので責任は問われないとの趣旨の発言もされていたが。
森会長 責任を問われないとは言っていない。場所をわきまえて発言したつもりです。
――組織委としての発言ではないから、あの発言は良かったということか。
森会長 そうじゃない。全部見てから質問してください、昨日の。
――「わきまえる」という表現をしていたが、女性は発言を控える立場だという認識か。
森会長 そういうことでもない。
――ではなぜあの発言を。
森会長 場所や時間、テーマに合わせて話すことが大事なのではないですか。そうしないと会議は前に進まない。
――それは女性と限る必要は。
森会長 私も含めてと言ったじゃないですか。
(司会者)冒頭の発言の内容に関しては…
(森会長)「(記事を)面白おかしくしたいのか」。
――何を問題と思っているのかを聞きたいから聞いているんです。
森会長 だからさっきから話した通りです>
森氏からすればサービス精神でやったことが、まさか東京五輪組織委の会長の辞任を迫られる事態にまで発展するとは夢にも思わなかったに違いない。筆者は前述のように、これまでの森氏の東京五輪開催への取り組みやマスコミのこれまでの偏向報道の経緯を勘案し、森氏が謝罪した以上、失言への責任は果たしたとするのが真っ当ではないかと考える。
それに、メディアは今週発売された「週刊文春」(文藝春秋)が報じた、菅義偉首相がコネ入社させた長男が総務省幹部を接待していた問題について、より追及すべきだろう。今回の森氏の失言問題よりも、本質的にはそちらのほうが圧倒的に重要なのはいうまでもない。“ジイサン叩き”に使うエネルギーを、ぜひそちらに向けていただきたいものだ。
(文=松岡久蔵/ジャーナリスト)