アウトロー・ノンフィクションの重鎮であるフリーライター・山平重樹氏の新刊『サムライ』(徳間書店)が話題だ。ヤクザ業界内外から「サムライ」と評される大物極道の生き様を描いたものだが、一般にはまだこの人の名はさほど知られていないと思う。
六代目山口組直系組長の一人で、個人の損得を顧みず組織のために身を捧げることで、サムライと呼ばれる親分。それが、二代目小西一家・落合勇治総長だ。
落合総長は、これまで組織のために2度もジギリ(抗争によって身体を賭けた結果、服役すること)を賭け、長期の社会不在を余儀なくされてきた。
そして、3度目となった「埼玉抗争(2008年、埼玉県内で二代目小西一家系幹部が住吉会系組員に刺殺されたことによって勃発した抗争事件)」では、報復として行われた住吉会系組員射殺事件の首謀者として逮捕・起訴され、最高裁で無期懲役が確定している。
その詳細は『サムライ』に述べられているが、逮捕された2010年から落合総長は一貫して無罪を訴え続けていた。
落合総長の逮捕の決め手となったのは、元配下の組員らによる供述となるのだが、その元組員らですら、控訴審でこれまでの供述内容が偽りであったことを認めて、落合総長の関与を否定。これによって、控訴審判決では無罪が出ることも十分に考えられた。それを想定して、判決日には、六代目山口組最高幹部らが、釈放されるであろう落合総長を出迎えるために、勾留されていた東京拘置所前に姿を見せていたのだ。
だが司法の判断は覆ることのないまま、再び無期懲役が言い渡されたのであった。
そんな法廷闘争の中、筆者が鮮明に覚えているのは、一審での論告求刑の際に証言台へと立った落合総長が述べた言葉だ。
「娘が私の無罪を信じて、社会で私の帰りを待ってくれている」
どんな着飾ったものよりも、その言葉は筆者の胸を激しく突いた。極道といえども、人の親。娘さんが父の無罪を信じて待ってくれていることが、落合総長にとっては何よりの心の支えであり、無罪を主張し続ける動機であったのだろう。
紙面越しにその言葉を目にした時、筆者はまだ現役のヤクザで娘がいた。昔から、子は親にウソをつくものだが、親はどんな生き方をしてようとも、我が子だけにはウソをつかないと言われている。それは落合総長の生き様が物語っていた。
司忍組長の誕生日に届けられた祝電
過去2度の長期服役を経験した際には、落合総長は言い訳することなく、他に類が及ばないように自分自身で罪を被ってきている。それは、侠(おとこ)としての矜持ゆえだろう。しかし、今回は自らの無罪を訴え続けた。愛娘にウソをついてまで、配下の組員が犯した、実際には自分とは無関係である罪を被るような生き方を落合総長はできないのだ。
ただ一刻も早く社会へと出たいと思うならば、情状酌量を得るためにヤクザ社会から引退することもできたはずだ。だが、落合総長は極道として、名誉ある六代目山口組プラチナ(直参)の総長として、裁判を戦い続けた。
そういった状況に対して、分裂前の六代目山口組では、直参の親分衆らが持ち回りで面会へ訪れ、落合総長を励まし続けていた。
その中には筆者が仕えていた親分もおり、親分が面会から帰ってきた際には、すぐに落合総長から面会の礼状が電報で届けられていた。それを本部事務所で受け取ったのは筆者だった。
親分が目を通されてから、私もそれを一読させていただいたが、そこには縦書きの毛筆体で、まさに意気軒昂な文章が綴られており、後ろ向きの言葉は皆無であったのである。
後年、筆者が「落合総長が法廷で述べた娘さんの話に胸を突かれた」ということをある人に話すと、その人は落合総長に面会した際に筆者の話を伝えたという。それを受けた落合総長は笑顔を浮かべて、「オレもたまに、いいこと言うんだよな」と朗らかに感想を漏らしたそうだ。
無実を訴え、不当な扱いを受けていると感じてながら、悲壮感など表に出すことが微塵もない落合総長。最高裁で無期懲役が確定したあとにも、六代目山口組・司忍組長の誕生日に届けられた落合総長からの祝電には、このように綴られていたという。
「祝電
親分、お誕生日おめでとうございます(中略)
私は身は離れていても、親分をはじめ本物の俠達とは心は固く繋がっておりますので、どこに独りで居ても心は温かで充実しております(中略)
親分! 来世も親分の子分にして下さい!」
そんな言葉を社会に残し、落合総長は、終わりの見えない下獄の途に着いたのであった。俠として、サムライとして、過去を振り返ることなく……。
(文=沖田臥竜/作家)