――当時、東海地震に関しては「明日にでも起きる」という論調の報道も多かったです。
橋本 東海地震説が流れたときには、日本地震学会の中でも異なる意見がありましたが、結局はうやむやになりました。そうした節目で総括をしてこなかったことが問題ですね。
1986年頃に東海の地殻変動データを解析しました。悩ましい変動がありましたが、予知連(地震予知連絡会)でも明確な解答は得られませんでした。そういうことの繰り返しで、1980年代末には「いつまでたっても、地震の予知や予測はできないだろうな」と思っていました。ただ、それを言える雰囲気ではありませんでしたし、ほかの研究者にもそう明言している人はいませんでした。
――東海地震説は、専門家の間でも賛否が分かれていたのですね。
橋本 京都に来てわかったのですが、阪神・淡路大震災前は、関西の人は誰も「関西に地震が発生する」とは思っていなくて、「大地震は東海で発生する」と信じ込んでいたのです。そういう状況をつくった行政、地震学者、マスコミには大きな責任があります。そして、南海トラフ巨大地震が話題になったら、今度はそちらに関心が集中する。同じことを繰り返しています。
私も行政の中にいた経験がありますが、各省庁はひとつの大きな事案があると、そこに人も予算も集中させる傾向があります。本来は小さい事案でも調査を積み重ねることが大事であるにもかかわらず後回しになっていたのが現実で、疑問を抱きながら仕事をしていました。
そして、日本地震学会の一番の問題は節目で総括をしてこなかったことです。私は何回か具申しましたが、最終的には学会を辞めました。
――実際、地震の正確な予知は難しいということでしょうか。
橋本 阪神・淡路大震災や東日本大震災の発生後、「地震予知はできなかったのか」という批判に対して「地震予知の対象は東海だけ」と胸を張って言う人もいましたが、それは違うでしょう。そういう人が残っているので、日本地震学会としての統一見解が出せないのです。
ちなみに、内閣府の中央防災会議は昨年8月の「南海トラフ沿いの大規模地震の予測可能性に関する調査部会」において、発生時期や場所・規模について「確度高く予測することは困難」と結論付けています。ただし、これは行政ではなく、本来は日本地震学会が「現在の科学的知見からは、地震の予知や予測は難しい」と発表するべきだったと思います。
(構成=長井雄一朗/ライター)