横浜市の大口病院(横浜はじめ病院に改称)で2016年9月、点滴に異物が混入され入院患者2人が中毒死した事件で、当時この病院の看護師だった久保木愛弓容疑者(31歳)が殺人容疑で逮捕された。
久保木容疑者は、2人とも消毒液を体内に混入させて殺害したことを認め、「他の入院患者の体内にも消毒液を入れた。20人ぐらいやった」と供述しているという。犯行の動機については、「容体の急変を見るのが嫌で、自分がいないうちに死んでほしかった」と話しているようだが、そんなことで20人以上も殺害するだろうかという疑問がわく。
この疑問を解く鍵は、「自分の勤務中に患者が亡くなると、遺族への説明をしなければならず苦痛だった」という供述にあると私は考える。「自分の勤務中に亡くなるかもしれない容体の悪そうな患者を選んで、消毒液を混入した」という趣旨の供述もしているので、患者の容体が急変して死亡し、さまざまな処置に加えて遺族への説明をしなければならなくなる状況がよほど「苦痛」で、どうしても避けたかったのだろう。そういう状況が久保木容疑者に強い恐怖と不安を引き起こした可能性も考えられる。
このように特定の状況への恐怖と不安が強くなり、それが6カ月以上続くと、精神医学的には「限局性恐怖症(Specific Phobia)」とみなされる。問題は、恐怖と不安を自分ではコントロールできないので、それを引き起こす状況を何としても回避しようとすることだ。高所恐怖症の人が、高いところに上がるのを避けるのと同様に、自分にとって苦痛な恐怖と不安を誘発する状況をあらゆる手段によって避けようとする。
久保木容疑者に恐怖と不安をかき立てたのは、患者の死亡によって自分が遺族に説明しなければならなくなる状況だったので、それを回避するために自分の勤務時間外に患者を死亡させようとしたわけである。あまりにも自己中心的かつ短絡的な動機だが、「限局性恐怖症」の人の行動パターンを決定するのは回避であることが多い。
「限局性恐怖症」を病気とみなすかどうかについては、精神科医の間でも議論が分かれている。アメリカでの臨床研究によれば、何らかの対象や状況に対する恐怖症を持つ人は人口の10%程度ということがわかっており、必ずしも病気ではなく、治療対象にはならないという意見もある。ただ、久保木容疑者のように強い苦痛を覚えており、それを回避するために問題行動を起こす場合は、きちんと治療すべきだろう。