日本の旧石器時代の存在を明らかにした群馬県「岩宿遺跡」の発見者、相澤忠洋氏(1926~89年)の三十回忌献花式が命日の5月22日、同県みどり市の同遺跡で開かれた。
相澤氏は在野の考古学者。納豆などの行商をしながら石器を収集し、第二次世界大戦後まもない1946年、赤城山麓で、先端を鋭く尖らせた尖頭器(せんとうき)と呼ばれる黒曜石の石器を発見。明治大学考古学研究室と共同で調査した結果、それまで日本にはないと信じられていた旧石器時代の遺跡と判明する。
岩宿遺跡の発見後、経済成長を背景とした国土開発によって全国で発掘調査が行われ、新たな遺跡の発見が相次ぐ。一時は石器探しの名人として「神の手」と呼ばれた民間研究者により10万年前や50万年前、60万年前のものとされる一連の石器も“発見”されるが、2000年に捏造が発覚し社会問題となった。この結果、現在日本の旧石器時代の遺跡として確実なのは、岩宿を含め、約3万5000年前以降の後期旧石器時代のもののみとなっている。
十数万年前、アフリカに生まれた私たち現生人類(ホモ・サピエンス)は「偉大なる旅(グレート・ジャーニー)」と呼ばれる大移動を経て、約4万年前の日本列島にたどり着いたとみられる。
何万年も昔の人類というと、現代人とは縁遠い存在としか感じられないかもしれない。確かに厳しい自然に直接囲まれ、文明も未熟だった旧石器人との違いは小さくない。しかしそれ以上に同じホモ・サピエンス(賢い人間)として共通点は多い。そのひとつが石器に象徴される、道具の製作と使用である。
石器の歴史は限られた石材をいかに効率的に用いるかの改良の歴史といえる。日本列島の気候が寒冷から温暖に転じた2万年前、中部・関東から東北にかけて尖頭器が現れる。木の葉のような形をした、岩宿遺跡で発見されたタイプの石器だ。考古学者の松木武彦氏によれば、それまでのナイフ形石器が狩猟・解体・加工のどれにでも使える万能具だったのに対し、尖頭器は木の柄を付けて突き刺す機能が重んじられ、狩猟のために特化した石器といえる。
2万年前から1万7000~1万8000年前までの間にナウマンゾウ、大角鹿など長く人々の胃袋を満たしてきた大型獣が温暖化で姿を消し、代わりに鹿、猪、兎などの中小型獣をおもな獲物にするほかなくなった。これが尖頭器出現の背景とみられる。