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木村貴「経済で読み解く日本史」

1万年以上前、なぜ日本人は200キロ離れた場所の石で石器をつくれたのか?

文=木村貴/経済ジャーナリスト

 労力だけではなく、時間というコストもかかる。石器や落とし穴をつくっている間はその時間を狩りに使うことができず、食料を入手できない。その間、ひもじい思いを我慢しなければならない。

 労力や時間という小さくないコストをわざわざ払って、石器や落とし穴をつくったのは、コストを上回るリターンがあったからである。素手や木の棒で獣をただ追いかけるより、落とし穴に追い込み、石の刃を付けた槍で仕留めるほうが効率よく多くの獲物を得られるから、その方法を選択したのだ。

今の文明は昔の石器文化の延長線上にある

 現代の資本主義経済でも、物を生産するには普通は素手でなく、専用の道具や設備を使う。そのほうが品質の良い物を大量に効率よくつくれるからだ。旧石器人がその知恵でつくり出した落とし穴や石器は、現代の工場やそこで使われる器具・機械の遠い先祖といえる。石器をこしらえる間、ひもじさをこらえたことも、現代人が目先の消費を切り詰めて貯蓄し、それが企業の設備投資に活用されるのと同じ構図だ。

 文化人などのなかには、現代の機械文明や資本主義を批判し、原始・古代の人々の生き方に学べという意見がよくある。けれども、今の文明は昔の石器文化の延長線上にある。石器という道具をつくり出し、改良を重ねた旧石器人と、機械を発達させ、さらに進化させようとする私たちは、同じホモ・サピエンスである。どちらか一方を肯定し、他方を否定することはできない。

 道具がもたらす生活は決して不幸ではない。遺跡調査によると、旧石器人はキャンプに集まり、石器の生産や生活をしていたとみられる。円を描いて並んだ数基から十数基の簡素なテントが、個人や家族の居場所だったようだ。遠くからやって来た集団と石器を交換したり、ナウマンゾウなど大型獣の狩りを共同で行ったりするのが目的だったとの説もある。いずれにしても、石器の利用で生活が比較的豊かになり、より多くの家族を養うことが可能になった表れといえる。

 冒頭で紹介した相澤忠洋氏は、岩宿でみずみずしい青色の石器を明治大学と共に掘り出した際、「祖先の一家団らんの場で使われたにちがいない石器を手にして、その肌に隠された夫婦、親子などの人間関係」に郷愁と思慕を募らせた。素朴だが機能美を感じさせる石器は、その後長い時間をかけ、苦労しながら日本列島に豊かな社会を築いていく人々の歴史の幕開けを飾るにふさわしい。
(文=木村貴/経済ジャーナリスト)

<参考文献>
松木武彦『列島創世記』(全集 日本の歴史1)小学館
堤隆『旧石器時代ガイドブック』(シリーズ「遺跡を学ぶ」別冊02)新泉社
白石浩之『旧石器時代の社会と文化』(日本史リブレット1)山川出版社
相沢忠洋『「岩宿」の発見』講談社文庫

木村 貴/経済ジャーナリスト

木村 貴/経済ジャーナリスト

経済ジャーナリスト。1964年熊本生まれ、一橋大学法学部卒業。大手新聞社で証券・金融・国際経済の記者として活躍。欧州で支局長を経験。勤務のかたわら、欧米の自由主義的な経済学を学ぶ。現在は記者職を離れ、経済を中心テーマに個人で著作活動を行う。

Twitter:@libertypressjp

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