筆者にとっての「興味」は、次の2点に尽きた。
・民主党が20議席を割り込むのか(どこまで負けるのか)?
・共産党は議席を伸ばすのか?
普段は霞が関を中心に取材しているため、筆者は正確には政治記者ではない。それでも、2009年の衆議院総選挙で、民主党への政権交代を期待する記事を書いた記者として、責任は感じていた。よって、昨年暮れの再度の政権交代選挙、そして、6年前の自民党大敗から始まったねじれ国会の正常化を見届けることは、筆者の義務ではないのかとも感じていた。
「一度、僕らにやらせてみてください。政権を担わせてください」
かつて、民主党が幾度となく主張してきたこの言葉を覚えている人は少なくないだろう。そして、その選択を後悔している人も多いはずだ。今回の投票率は52.61%(共同通信社)と、1998年の参議院選挙以降で最低。戦後、3番目の低さだった。有権者が、政治に、選挙に、興味も期待も抱けなくなったあらわれだ。
起きることは、後から考えてみれば「必要だったこと」がほとんどだ。しかし、民主党が政権を担った3年3カ月。そして、自民党が07年の参院選で大敗しねじれ国会が生じたこの6年は、日本にとって果たして「必要だったこと」といえるのだろうか。筆者はいまだに答えを出せずにいる。多くの国民も似た感想を抱いたのではないか。それが、この投票率につながっている気がしてならない。
結局、自民65議席、公明11議席と、非改選議席をあわせると自公で過半数の121議席を超える135議席だった。ねじれは解消したことになるが、ストッパー役になるはずの民主は、17議席とようやくの二桁台で、公示前勢力の86議席から59議席に激減し、大惨敗を喫した。共産党は、都議選同様に大躍進を遂げ、東京、大阪、京都などの選挙区でも議席を獲得し、野党の中で唯一存在感を発揮した。
民主党は、全国31の1人区で19人の公認を出したが、全員が落選。さらに東京選挙区(定数5)では、公認問題で分裂選挙となった上に、結党以来、初めて議席を獲得できなかったという有様だった。
細野豪志幹事長は、
「私が最終的に調整した。すべての責任は私にある」
そう男気を出して辞任の意向を見せたように思えたが、「政権を担える政党に民主党を復活させたい」と、結局は態度を保留した。
海江田万里代表にいたっては、「代表としての責任は自分にあるが、民主党はまだ道半ばだ。努力をさらに続けたい」「まだまだ泥水をすすらなくてはいけないという思いであります」と、堂々と続投に意欲を示した。
実は、選挙戦終盤、民主党幹部の間では、こんな話し合いがなされていたと、中堅議員は怒りをこめて話す。
「誰がやっても今回は負け戦だ。今こそみんなで仲良くやっていかなくてはいけない」
「責任問題を追及している場合ではない。仮に責任問題が持ち上がっても、自ら“辞意”は漏らさないようにしよう」
「我慢していれば、そのうちアベノミクスも化けの皮がはがれて、民意が民主党に戻ってくる」
……先の衆院選で致命的な敗戦を経験し、都議選、参院選とたて続けに敗北。壊滅状態に陥った。だが、この期に及んでもまだ、彼らにとって重要なのは「主導権」と「ポスト」なのだった。
今や、強大な力を得た与党・自民党。「ブラック企業」と批判され、声なき声を国政に伝える人物とは到底思えないワタミ創業者の渡邉美樹氏まで国会議員のバッチをつける。それこそ野党が共闘するのは今なのだ。
だからといって、もはや「民主党」の旗の下に集う者など皆無に等しいだろう。野党中心に再編を目指すには、民主が完全に溶ける前に解党する以外、道はないのではないか? そしてそれは、あくまで新代表の下で行われなくてはいけない。この際、戦犯と目される議員は全員、辞任して、民主党は出直したらどうだろう。
(文=横田由美子/ジャーナリスト)