昨年11月に鉄道写真の撮影目的で埼玉県の秩父鉄道の線路を渡った共産党の山添拓参議院議員を、埼玉県警が今年9月中旬に鉄道営業法(鉄道地内立ち入り)容疑で書類送検した。山添氏は「線路を1秒間で渡ったが、軽率な行為と反省している。その場所は近所の人たちに踏み固められた形跡があって、道になっていた。電車が通っていないときに渡ったが、横断禁止だということがわかれば渡らなかった」と述べている。
最終的に地検秩父支部は9月30日に「諸事情を考慮した」として不起訴としたが、当時の加藤官房長官が会見で触れるなど政権の政治的な思惑が垣間見られ、撮り鉄の私にとってもなんとも薄気味悪い事件となった。
法律違反の程度と運用上の問題は
現場は地元住民が日常生活のために線路を渡るために線路内に板も置かれている「勝手踏切」と呼ばれているところで、秩父鉄道も十分承知しているものだ。
日本では踏切以外でこうして線路を渡らないと日常生活が送れないところは数知れず存在し、私も道路から線路を渡らないとたどり着けないレストランや家の出入り口が線路に面しているところも知っている。そのような場所については鉄道会社も認識していて、特段の措置もとっていない。
では鉄道マニアだけを違法行為として立件することはどうであろうか?
私は1959年からの撮り鉄で、内外の多くの鉄道を撮影してきたが、昔は線路際からの撮影や線路に沿ったあぜ道を歩くことは自然なもので、運転手や地元の人からも注意を受けるということは一度もなかった。
しかし近年、列車を止めてしまうような非常識な撮り鉄の行為が社会問題化したりコンプライアンスが重視されるようになって、過去の習慣は通用しなくなってきたのも事実である。今回の山添氏の立件について知り合いの古くからの鉄道マニアの多くは一様に驚きを隠せず、「注意し本人が謝罪すれば済む」「初犯でもあるので立件は行き過ぎ」という感想を漏らしている。
だが、そういう考え方自体も時と場合によっては受け入れられなくなっている社会の変化も否定できないのも事実であろう。目を海外に向けても、いまだに圧倒的に多くの国々で住民や鉄道マニアたちが堂々と線路を渡ったり、道路の代わりとして使っている一方で、取り締まりを始めた国もある。私も旧東ドイツ領の田舎のナローゲージ(狭軌鉄道)でいつものように線路際のあぜ道をカメラ片手に歩いていたら、パトカーに呼ばれ25ユーロの罰金をその場で徴収されたことがある。聞けば法律が変わったというのだ。
では、これから鉄道会社は敷地内に入る行為に対しどのように対応していけばいいのか。答えは非常に難しい。鉄道営業法や軽犯罪法という法律を大上段に構えるなら、地元住民も等しく立件しなければならない。さらに軽犯罪法違反行為は線路を渡ること以外に日常多岐にわたり、誰しもが知らずして法律違反を行うこともあり得るだろう。
こうして考えると、やはり法律の運用で対応する以外には策はない。もちろん列車を止めたり安全運行を阻害するなど、悪質な行為には立件することも必要だが、軽微な違反には情況を考慮して対応するしかない。近年増加している心ない撮り鉄が畑を踏み荒らしたり、樹木を切り落としたりする行為に対しては道交法違反のように違反切符を交付するなど検討を行ってはどうか。
加えて、撮影マナーについてはすでに多くの鉄道雑誌で注意を喚起しているが、著名な鉄道写真家をメディアに出演させ手本を披露するなどして啓蒙することも考えてみたらどうであろう。
撮り鉄のマナー違反を政治的に利用してはならない
共産党は撮り鉄の山添議員に対し、口頭での注意処分を行って事を済ませた。それは結果的に選挙への影響も少なくすると共に、一方でモリカケ桜などの不祥事に対し責任も認めず、謝罪すらしない政権、自民党の対応との違いを鮮明にしたものといえるだろう。
だが、山添氏立件のプロセスと政治的思惑について不問に付すわけにはいかない。今回鉄道営業法のような軽微な法律を盾に、しかも初犯にあたる山添氏をあえて埼玉県警と秩父鉄道が連携して立件したプロセスは異常なものであった。
「事件」は昨年11月に起きたものだが、立件は今年の9月中旬、当事者の埼玉県警本部長は安倍元首相の秘書官を務めていた人物である。さらに検察庁に処分の伺いを出したところ、立件の指示を出したのが中村格警察庁長官と言われている。氏は2015年にジャーナリストの伊藤詩織氏が元TBS記者の山口敬之氏から性被害を受けたと訴えて警視庁が捜査した当時の刑事部長であった。
各種報道によると、担当した警察署が準強姦容疑で山口氏の逮捕状を得たものの、それを執行させずのちに東京地検が山口氏を不起訴処分としたが、その中心人物が安倍元首相と盟友関係にあり、中村氏が安倍元首相の意向に従ったとされている。
さらに山添氏本人が謝罪し、共産党が処分を済ませたのに追い打ちをかけるように加藤官房長官が9月21日の記者会見でこの件でコメントしたことも普通ではない。しかもその内容が大問題なのである。
安全文化を理解しない加藤官房長官発言
9月21日の会見は読売新聞の記者の山添事件に対する質問に答えたかたちであるが、質問事項は事前通告されるものだ。そもそもこの山添事件の報道は読売新聞が取り上げたことから始まったもので、検察と共に読売新聞が果たした役割は大きなものがある。さらにその場で官房長官が述べた内容も、安全文化の醸成という立場からは逆行するひどいものだ。氏は山添氏が線路を渡った行為について「いかなる理由であれ大変危険な行為」と断定したのである。
政府を代表する官房長官が「いかなる理由であれ」と言ってしまえば、国民の行動にも大きく影響する。例として先の三陸の大震災のときに宮城県に走る石巻線で高台の道路に向かおうとした多くの車が、警報機が鳴る踏切で立ち往生したために津波に流されたのである。
当時、電源が地震で喪失し、その結果バッテリーで警報機が鳴り続ける仕組みを知らなかったにしても、左右見通しの良い踏切で電車が接近していないのだから踏切を渡っていれば多くの方々が命を失うこともなかったものである。
航空事故でも奇跡の生還を果たした原因に、飛行マニュアルに従わず応用操作をした事例がいくつもあるのだ。2009年に起きたハドソン川の奇跡も、マニュアル通りに操作していれば川に安全に着水できなかったのである。
つまり法律やルールは人間の標準的な行動を前提に作ったもので、逆にそれに縛られるものであってはならない。加藤氏はおそらく石巻線での教訓も頭にないと思われるが、軽々に「いかなる理由があれ」と言うべきではない。それでは本当に危険が迫っているときや一時を争う事態に臨機応変に応用操作ができなくなる。共産党の議員であったからといって鬼の首をとったかのように語気を強めたのであろうが、事は安全文化に関わることで軽々に語ってほしくないのである。
(文=杉江弘/航空評論家、元日本航空機長)