親が子どもを傷つけ、命を奪うとき、そこに「仕方がなかった」は存在するのか--。
3月15日、ある刑事事件に対して下された第一審判決が関心を集めた。この判決を下したのは、名古屋地裁岡崎支部における裁判員裁判。三つ子のうち次男を床にたたきつけて殺害したとして傷害致死の罪に問われていた母親(30歳)に対し、懲役3年6カ月という実刑判決が下されたのだ(検察側の求刑は懲役6年)。
過去の同種の事件には執行猶予がついたケースもあり、実刑判決は異例ともいわれる。これを受け、各方面では賛否の声が上がっているのである。
事件があったのは2018年1月11日の夜。愛知県豊田市に住むこの母親は、当時生後11カ月であった次男がなかなか泣き止まないことにいら立ち、その子を自宅の畳に2回たたきつけ、脳損傷により死なせたとされる。判決では、母親は犯行時にうつ病の状態にはあったが、責任能力は完全にあったと認められた。
SNSなどでは、被告と同じ三つ子や双子の育児経験者から「三つ子の育児は想像を絶する苛酷さ」とする、擁護の声が広がっている。三つ子の母である直島美佳さんは、オンラインで署名を募ることのできるサイトchange.orgにて、「この母親が、残された2人の子育てをしながら罪を償えるように」と、執行猶予付きの判決を求める署名活動をスタート。賛同者はすでに3万5000人を超えようとしている。
一方で、その流れに異を唱える人たちも存在する。
子どもの頃に虐待を受けて育った人たち、通称「虐待サバイバー」だ。発起人の“虐待サバイバー”さんは「実刑判決は妥当である」とする、いわば擁護派に反対するかたちの署名活動を、 同じくchange.orgで始めた。
呼びかけ文では、「執行猶予付判決を求める方々を批判する意思はありません。考え方は人それぞれです」としながらも、虐待を受けて育った立場から「母親への同情と、犯してしまった重大な犯罪に対する罰は切り離すべき」と主張する。賛同者は約300人。擁護派と比べると少数ではあるが、貴重な意見であることに違いはない。
双方の主張を聞いてみた。
お母さんと赤ちゃん、どちらが死んでもおかしくなかった
双子や三つ子の子育てをサポートする団体に、「一般社団法人 日本多胎支援協会」がある。この団体の理事を務める岐阜県立看護大学の服部律子教授は、母親擁護の立場から、弁護側の参考人として3日目の公判で証言台に立った。
「実はここ数年、母から子への暴力の引き金が“赤ちゃんの泣き声”となるケースが、とても増えていると感じます。子どもを泣かせてしまうことで自己肯定感を失ってしまったり、あるいはその時点では虐待をしていないにもかかわらず、『近所から虐待を疑われて通報されてしまうのでは』という恐怖から毎日追いつめられていくことが多いんです」
妊産婦の死亡理由としてもっとも多いのは、「自殺」。特に母体へのダメージが大きい双子や三つ子の出産では、一般のうつに比べても不安や焦燥感がより強い「産後うつ」の状態が1年半から2年間も続くことがあると、服部教授は指摘する。
「今回のケースの被告は、住宅街のマンション暮らし。ましてや手のかかる未熟児が3人です。殺されてしまったとされる次男は、体重1000gで産まれた極低出生体重児だったといいます。がんばってミルクを飲ませてもなかなか体重が増えず、心身ともに相当追いつめられていたのでしょう。実際に彼女は、事件の1カ月前から自殺サイトをずっと見ていたそうで、子どもを殺してしまうより先に自分が自殺していてもおかしくなかったはず。それを支えてくれる立場にあるはずの夫も不安定な状況にあったようです。三つ子育児の苛酷さについて行政などの理解が足りなかったために、お母さんとお父さんがそれぞれ孤立してしまったことが、事件の原因ではないかと私は思っています」
父親は6カ月間の育休を取り、夫婦で子育てをしようとした。それでも被告が孤立してしまったのはなぜなのか。
今回のすべての裁判を傍聴したという、「NPO法人 ぎふ多胎ネット」の糸井川誠子理事長は、夫婦間の認識の違いについて、次のように語る。
「以前から、被告は夫に『泣き声が耐えられない』と言い、事件の数日前には、『死にたい』と訴えたそうです。しかし夫は、それを告げられるまでは『妻からは何の不安も感じなかった、すべて完璧だった』『子育ては、1人も2人も3人も同じ』という認識のようでした。悪意からそう言っているのではなく、本当に気がつけなかったのだという印象を持ちましたね。ほかにも被告は、夫以外に病院や行政にも不安を訴えています。しかし、それがことごとくスルーされてしまいました。救えるチャンスは何度もあったと思います」
公判では、服部教授が発言している間、被告である母親はずっとすすり泣きを続けていたという。
「それまで、彼女を理解してあげられる人がまわりにいなかったのでしょう。私は、適切な支援さえあればこの事件は防げたと考えています。このケースに学んで、多胎児を抱えた親には、制度改正をするべきではないでしょうか。まずは、子育ての援助を受けられる助産師の訪問やヘルパーの派遣、ファミリー・サポートなどの手続き簡略化、それに保育園入園に対する優遇措置などがあり得ると思います。もし、これらの改正が行われなかった場合、同様の事件がまた起きるのではないかと危惧しています」(服部教授)
残された子供のためにも執行猶予を
服部教授は、女性の性と生殖に関わる“母性看護学”を専門とする立場から、この被告の母親としての今後の生き方にも言及する。
「法廷での被告の様子を実際に見、傍聴された方の記録なども読む限り、この母親が3人の子どもを愛していたことは間違いないでしょう。子どもたちの父親である夫はまだ心身ともに不安定な状態にあるため、仕事をしながらの子育ては難しそうですが、今後は被告の実家が以前にも増して育児に協力し、カウンセラーや保健師のサポートを受けつつ子どもと向き合っていくなどすることで、“やり直し”はまだ可能だと考えています」
再び育児に向き合うのは、刑期を終え罪を償ってからでもよいのでは? という疑問を筆者が投げかけると、服部教授は切実に訴えた。
「生まれてからの数年間に母親の存在を感じることは、たとえ子ども本人の記憶に直接には残らないとしても、子どもの愛着形成において非常に大切なことです。愛着形成がきちんとなされれば『自分は愛される人間だ』という自己肯定感が育ち、それは大人になっても身を守ってくれる財産となりますから。なので、残された2人の子どものためにも執行猶予をつけてほしい。そう強く願っています」
親だったら何をしてもよいのか
母親擁護に反対するかたちで、先述の「実刑は妥当」に署名をしたのは、虐待サバイバーのSさんだ。幼少期から母親からは育児放棄、養父からは性的な虐待を受け、18歳になる直前で児童相談所の助けを借り、親類に保護されて成人した。
「母親は気に入らないことがあると、私に暴言を吐いたり、手や物で頭や背中をぶってくるような人でした。しまいには、自分の妹――私からしたら叔母ですが――にも包丁で斬りつけてしまったんです。当然、警察も救急車も来ました。いまだにリアルな血や尖ったもの、刃物を見るのがつらいです。次は自分や弟の番だと、机の下で泣いて震えているだけの子どもでした」(Sさん)
「だから私も、なかば犯罪者のような親の子です」と語るSさんの心の底に、子どもの頃のトラウマは今も深く巣食っている。妊婦は、母親を思い起こさせるから嫌い。理解あるパートナーと結婚後も、いまだに性的な関係を持てずにいるという。
「親だったら何をしてもいいのでしょうか? 家庭という『合法監獄』で何が起きているか、身内を殺しかねない事件を起こした親の子が、その後どんなことを感じて生きていくのか、少しでも多くの人に知ってほしいです。たとえば、親でもなんでもない、メンタルを病んだ近所の女性が子どもを殺したとしたら、情状酌量の余地なんてないですよね。でも、それが母親だったら“過酷な育児でかわいそう”とされてしまう。子どもの立場からしたら、矛盾しているように感じてしまいます。感情的になってしまっているのかもしれませんが、個人的には実刑は妥当だと思いますね」(Sさん)
私のような虐待サバイバーの子どもたち
3月26日、この三つ子の母親は、一審判決を不服として名古屋高裁に控訴した。署名サイトで「実刑は妥当」という署名をしたのが約300人。これが判決に影響を与えるとは考え難いが、それでもSさんが署名をした理由とはなんだったのか?
「この方に“減刑”を求めることは、私のような立場の子どもたちを、世間や法は認めないということになってしまうと思ったからです」
「母親擁護派」と「子どもの権利派」、両者が願っているのは同じ「虐待に苦しむ人をなくすこと」ではなかろうか。しかし立場が異なれば、意見が180度変わる場合もある。筆者も虐待サバイバーだ。「傷つけられた子ども」の立場から、「子どもを傷つけてしまう親」の立場を理解することは、とても精神力のいる作業である。
しかし間接的にではあるが、今回の事件をきっかけにして、両者の意見交換がなされることはとても意義のあることではないだろうか。虐待のない世の中を目指すには、どちらの声も無視できない。頻発する子どもの虐待死事件が後押しとなって、現在、虐待防止の新しい制度や法案の準備が急ピッチで進められている。それらのなかに、こうした生の声が少しでも多く取り入れられることを願っている。
(文=帆南ふうこ)