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栃ノ心・朝乃山戦“疑惑の判定”…「誤審」を生み続ける相撲協会の体質とマスコミ検閲

文=西尾克洋/相撲ライター
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 大相撲の判定は、まず行司が行う。そして、この判定に異議がある場合は土俵下の勝負審判が手を挙げて行司を含めて協議を行うことになる。この際、行司は意見を述べられるが、評定には参加できない。つまり、物言いがついたときは勝負審判が判定を下すことになるわけである。

 そして前述の通り判定にはビデオが用いられている。1969年からの導入であり、その歴史は長い。きっかけとなったのは今回同様、誤審と疑われる判定だった。横綱大鵬の45連勝が止まった一番で、大鵬が土俵を割るよりも早く戸田の足が俵を踏み越えていたことから物議を醸し、翌場所からビデオが用いられることになった。だがこのビデオ判定によって、今回は判断がつけられなかった。ビデオはあくまでも参考資料であり、最終的な決定は審判によって下される。つまり、問題は勝敗のジャッジを下すうえでビデオ判定が有用ではなかったということである。

 現在さまざまな競技でビデオ判定が活用されている。テニスやバレーボールといった競技ではボールがラインのインに入ったのかアウトなのかが機械的に判定され、ビデオ判定を求められたら、この結果が採用されている。2019年のスポーツ界はより公平で正確な判定が求められ、それに応えるかたちで競技が変化してきている。

 他のスポーツでは誤審が消えつつあるなか、大相撲では疑わしき判定が起きているのだから、風当たりが強くなるのは当然のことである。判定の正確性を高めるためにもビデオ判定の質を改善していくための議論がなされるべきではないか。

 ビデオ判定で勝敗の事実が見いだせなかった結果、システム上頼らざるを得なかったのは審判の肉眼だった。勝負審判が5人居ようとも、参考意見を出すことのできる行司が居ようとも、人が下す判定である。100%正しいジャッジが続けられるはずがないのだ。大方の見方と異なる放駒親方のジャッジを吊し上げることが将来につながるとは思えないし、そもそもこの判定が正しかったという可能性もないわけではない。

 このような判定が大鵬・戸田戦以降、なかったわけではない。近年、勝負審判の判定に対する批判の声が大きくなっていることも事実だが、大関復帰の道を閉ざしかねない結果と、優勝争いに大きな影響を及ぼす結果を同時に招くようなインパクトのある「誤審」はあまり記憶にない。恐らく三賞が懸かった一番で髷掴みの反則を取られて里山が負け越した里山・高安戦が、それに続く程度ではないかと思う。それでも今回ほどの事件ではなかった。

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