「まず、お願いしたいことは、資料の中の『安全と安心』という言葉がいつも一緒に使われているので、『安心』は削って『安全』だけにしていただきたいのです」
その発言は島村宜伸農林水産大臣(当時)にも伝わり、05年2月24日の衆議院農林水産委員会で経緯を問われた島村氏は、「仄聞いたしております」と横川発言を認識していたことを認めた。現在、同省は「食の安全」と「消費者の信頼の確保」という用語で統一している。
「安全・安心」という概念は、科学技術政策でも使われており、例えば文部科学省の「安全・安心な社会の構築に資する科学技術政策に関する懇談会」報告書(04年4月)には、次のように記載されている。
「安心は安全の確保に関わる組織への信頼や個人の主観的な判断に大きく依存することから、たとえ、安全が確保されていても、個々人が安心として実感できないのであれば、なぜそのような事態が生じているのか原因を検討し、原因を明らかにした上で、安心をもたらすためには、何をなすべきなのかについての研究が必要である。また、確保されている安全を個々人が安心として実感できることが社会的なゴールであり、安全を安心として実感するための手法の研究が必要である」
つまり、文科省は、安全・安心に資する科学技術の推進を科学技術基本計画に位置付けているのである。
●「安全・安心」を拒否する農林水産省
これに対し農林水産省が「安全・安心」を拒否する姿勢は異様である。そのような同省から幹部を送り込まれている食品安全委員会は、「食の安全・安心」についてどのようなスタンスなのであろうか。昨年7月に食品安全委員会でまとめられた「食品安全委員会10年の歩み」を見ると、初代食品安全委員会委員でその後、委員長になった見上彪氏の「雑感」の中に次のような記述がある。
「食品安全委員会は、安心のためではなく食品の安全性を確保するために科学的知見に基づく評価を行うことを目的とした政府機関である」
この発言より、食品安全委員会は「食の安心」を守る意思がないことがうかがえる。さらに見上氏は、次のようにも述べている。
「牛海綿状脳症(BSE)問題では、特にゼロリスク論者が社会のあらゆる階層に多く存在し、統計学的な確率論による許容範囲を受け容れようとせず、費用対効果など全く顧みず、牛や牛肉などの管理面での取扱いや安全性とは関係のない全頭検査などで、税金の無駄遣いをしてきた。これらに対して自分自身はなすすべもなく、内心忸怩たるものがあった」
こうした主張をする人物が、食品安全委員会の委員長に適任だったのか、疑問を感じざるを得ない。前出の「安全・安心な社会の構築に資する科学技術政策に関する懇談会」報告書に書かれているように、安心は安全の確保に関わる組織への信頼に大きく依存する。以上みてきたような食品安全委員会が、果たして十分かつ適正な食品安全評価を行うことができるのか。日本における食の安全の観点からも、食品安全委員会の在り方が問われているといえよう。
(文=小倉正行/国会議員政策秘書)