森永卓郎になりたかった金子哲雄が、秘かにしたためていた企画
(集英社)より
実は私は、編集者兼ライターとして、2008年11月から金子さんにいくつか企画でインタビューを行ってきた。当時はまだ、『ホンマでっか!? TV』への出演で脚光を浴びる前、その頃の皆さんの知らない、金子さんのエピソードを紹介することで、本記事を追悼記事としたい。
金子さんに最初に会ったのは、月刊誌「宝島」(09年1月号)の特集『潮目が変わった』での食事情関係のインタビューだ。食事情に詳しい流通ジャーナリストを探しており、宝島社で以前に新書を出版していた金子氏にオファーすることになったのだ。
当時のオファーの方法は、氏のホームページ「Marunouchi Online(丸の内オンライン))の問い合わせ窓口からだった。金子氏の会社名も「一般社団法人 丸の内買物研究所」であり、ビジネス本のセオリーである「自らの信頼感を増すために丸の内や銀座といったキーワードを用いろ!」を地で行くようなホームページ名にしていたので、ギャグなのか本気なのか面食らった記憶がある。
取材オファーは快諾され、取材当日を迎えるとその午前中に「今日はどんな話が知りたいですか?」と金子氏から用意周到な電話がかかってきた。取材時間にはバイクで1人でやってきて、食事情に関するマシンガントークを繰り出した。舌足らずながらも(本人曰く逆に舌が長すぎるのだとか)時間一杯ネタを話しまくる金子氏に、同席した編集者とともにテレビメディア向けの新たなキャラクターの登場を感じた。数日後には、取材のお礼状と、サインを書いた著書セットが私のもとに届くという段取りのよさで、金子氏は気配りの人なのだと感じた。
取材の趣旨から離れていたが、商品を値切る話が面白く、「月刊宝島」の次号(09年3月号)で『日本で唯一の「値切りスト」金子哲雄が教える実践 値切りの5か条』という企画を行なうことになった。取材しているこちら側にどんどん着想が生まれる話しぶりで、記事は好評をよんだ。この取材は09年1月で、所属事務所オフィス・トゥー・ワンのスタッフが同席するようになり、メディアへの露出が増え始めた。
ご飯の「大盛りの大盛り」料金をねぎっていた金子氏
インタビューを終えて、数日後、「インタビューのお礼がしたい」と夕食を誘われた。当日はテレビ収録終わりで、御茶ノ水集合。一人で現れた金子氏は、こういった夕食でも店選びはいつでもリサーチしているようで、新しい、話題になりそうな店を選び、入店すると、店員と愛想よく話す姿勢が印象的だった。
いまから振り返って気になったのは、酒は飲めない体質だが大食いという点。「番組収録前には食事を控えるが、本来は大食いで、収録後はドカ食いをする」という話だった。この日も焼肉店だったにもかかわらず、「(注文した)ご飯の大盛りをさらに大盛りにしてくれ」と店員に依頼し、店員が戸惑っていたのを思い出す。しかも、ご飯の大盛りの大盛りを注文したにもかかわらず、金子氏は料金は「大盛り」料金だけにできないかと交渉をはじめたことも、店員としては戸惑う原因だったようだ。もちろん、そのご飯の大盛りの大盛りをたいらげていた。