多額ローン払い手に入れたマイホーム、厄介な負の財産化…売却できず毎年多額の費用負担
私の知り合いで資産税に詳しい税理士によれば、最近の相続の現場では、「家はいらないから現金だけが欲しい」というゲンキンな相続人が多いという。
昔は相続財産のなかでは親の家がもっとも価値のある「財産」とされた。親の家をめぐって誰が相続するかで「争続」になるケースが多かったのだ。ところが、今では親の家は取扱いが面倒なだけで「価値がない」と考える相続人が急速に増えているという。
2016年1月1日現在、東京、大阪、名古屋の三大都市圏の人口は約6602万人、総人口の約51%、つまり日本人の約半数が三大都市圏に住むようになっている。一見すると、都会に住んでいる人にとって、土地は価値のある大切な資産のように映るが、実態はやや異なるようだ。戦中世代から団塊世代の多くが、戦後、地方から三大都市圏を中心とする都会に押し寄せてきた。彼らが居を構えたのが、都心から放射状に伸びた鉄道沿線の住宅地だった。そこで家族を形成し、お父さんが住宅ローンの負担に耐えながらもやっと手にしたのが現在のマイホームである。
そんなお父さんたちにもそろそろ「相続」が生じ始めている。そのお父さんの大切な資産である家の人気がないのだ。相続人である、都市郊外で育った子供たちは、その多くが都市部の学校に進学し、そのまま就職をしている。そんな彼らが住むのは会社への通勤に便利な都市部の住宅だ。
彼らの両親が勤め始めた頃には、都心部で住宅を求めても、賃貸アパートがせいぜい。大きな会社であれば独身寮に住み、結婚すれば社宅、少しおカネが溜まって子供ができる頃には郊外部に住宅を求めるという筋書きが常識だった。都心部は地価も高く、とてもサラリーマンが住むことができる居住環境にはなかったからだ。
また、子供たちは親が思うほどに実家には興味がない。地域内の公園で遊んでいたのはせいぜい小学校低学年まで。その後は塾通いに明け暮れ、中学校からは都内の私立中高一貫校へ。そのまま大学に進学した彼らにとって、実家は単に「寝泊り」した記憶が残るだけ。「小鮒釣りしふるさと」など存在しないのだ。
日本で一番若々しい街になった中央区
世代間で、なぜこれだけの環境の変化が起こったのだろうか。
理由は簡単だ。1990年代後半以降、都市部での住宅供給が圧倒的に増え、今の若い人たちにとっては、何も親の買った都市郊外の住宅から通勤しなくとも都市部に手軽に借りられる住宅が増えたからだ。また、都市部には数多くの分譲住宅が供給されているので、通勤に便利で商業施設やエンターテイメント施設の多い都市部の住宅を選択することができるようになったのだ。