コロナ禍、まったく生活で影響を受けず、利益も上げている人たちが実践していたこと
2011年3月11日に起こった東日本大震災から10年。多くの人の価値観に影響を与え、死生観や人生観を変える出来事でした。それは私にとっても同じです。
とはいえ、当時私は大阪へ向かう途中で、そのとき乗っていた新幹線が地震でしばらく停車しただけでした。つまり直接的に地震を体験してはいませんが、東京に戻ってから見た混乱や、その後、海外に出て感じた日本国内との報道の違いなどを通じ、相当な危機感を抱きました。以降は自分の働き方や生き方を変えようと変革に取り組んできたのですが、それによって奇しくも今回の新型コロナウイルス感染拡大にも適応できたという副産物がありました。
今回は震災以降、私が取り組んできたことと、新型コロナと東日本大震災との共通点を抽出しながら、私が得た教訓をご紹介します。
政府は本当のことを言うわけではないし、常に正しいとも限らない
震災直後の原発事故で、当時の政府・東京電力は当初「メルトダウンではない」と発表していました。しかし、私は海外メディアの報道などから「これは間違いなくメルトダウンだ」と感じ、すぐに日本を脱出して東南アジアに逃げました。そして事故から2カ月後、東電は「あれはメルトダウンだった」と公表するに至ります。
このとき、政府も企業も常に状況を正確に把握できるわけではなく、本当のことを言うわけでもなく、組織はつねに保身に走るのだということを痛感しました。
そして9年後、中国・武漢で新型コロナウイルスの感染が拡大し始めた際、中国もWHO(世界保健機関)も「ヒトヒト感染は起きていない」と言い、政府は海外からの渡航制限もかけませんでした。私は20年1月21日にツイッターで「ヒトヒト感染が起きている」「これから春節で中国人が移動し、感染拡大は避けられない」「これから人混みを避けます」「WHOは世界機関として機能していない」などとツイートし、自己隔離に入りました。周囲からは「早い!」と言われましたが、その後の顛末はご存じの通りです。
以降、私は行政の発言は常に批判的に観察していますが、20年3~4月には「休校は必要ない」「一般人はインフルエンザ同等の対策・対応で問題ない」「高齢者や基礎疾患保有者にリソースを集中させ、経済は止めるべきではない」と発言し、自分自身も普通に会食や旅行をしています。一連の施策は行政の保身行動であり、この判断はあながち間違ってはいないという認識です。
PC1台でいつでもどこでもできるワークスタイル
地震直後の原発事故で放射能が拡散するなか、仕事や家に縛られて身動きできない人をたくさん見ました。放射線被害に怯えつつ、子どもを学校に行かせている状況を目にしました。津波で家が流されても「そこにしか住めない」と、再び同じ場所に家を建てる人も少なくなかったそうです。
しかし、異常気象やそれに伴う自然災害が増加している現代において、移動したくてもできないというのは、ひとつのリスク要因だと感じました。リスク回避という側面だけではなく、もし日本以外の国で、就職や起業や投資のチャンスがあるとわかったとき、動けなければそのチャンスを手にすることができません。だから移動したいと思ったら、いつでも自由に動ける体制をつくっておきたい。
そこで私は経営していた会社の縮小に動きました。人を雇うのをやめて都心に借りていたオフィスも解約し、自宅兼事務所のひとり会社にしたのです。そして仕事も、パソコン1台あれば完結できるスタイルにしようと、すべてデジタルで受発注から納品までできるものにシフトしてきました。人と会ったり現場に行かないとできない仕事、モノを流通させる必要がある仕事を減らしてきました。同時に不動産投資や太陽光発電投資に注力し、不労所得を増やしてきました。
そしてコロナが来ました。これまで取り組んできたおかげで、コロナの影響をほとんど受けずにいつも通りの仕事、いつも通りの収入で、困窮することなく普段と変わらない生活を送れています。震災・原発事故で取り組んできたことが、そのままコロナ対応に活きた格好です。
生活消耗品の備蓄
原発事故後の首都圏の混乱といえば、生活消耗品や保存食の買い占め、あるいはガソリンスタンドに長蛇の列といった騒ぎでしょう。地方に住む実家から首都圏に住む家族にトイレットペーパーなどを送ったなどというニュースもありました。
私もこの光景を目にしましたから、震災以降は意識して災害備蓄を増やすようにしました。車のガソリンも、残量が半分を切ったら満タン補給する習慣になりました。特に5年前に新築した自宅兼賃貸マンションには災害備蓄用の倉庫を設置し、水・カップ麺・トイレットペーパー・ティッシュぺーパーなどの生活消耗品を約3カ月分以上ストックしています。そして前述の自己隔離に入る際も、マスクを大量に確保しておきました。
コロナでも震災後と同様の買い占め騒動が起こり、ネット上には「買えない」「もう在庫がない」といった阿鼻叫喚の声が飛び交っていましたが、わが家では何も困ることなく乗り越えられました。ドラッグストアの前にはマスクを求める客で開店前から長蛇の列ができていましたが、まったくの無縁で済みました。
市場暴落
大きな出来事があれば、ほぼ市場はいったん暴落します。これは過去何度も繰り返されてきたことです。東日本大震災のあとも株式市場は大暴落しましたが、私はここで仕込んだおかげで、のちに大きな利益を上げることができました。
同様にコロナ拡大で20年3月中旬、世界の株式市場が大暴落しました。私は再びチャンスだと考え資金を全力投入し、生命保険の契約者貸付制度を使ってまでも資金調達して買い出動しました。おかげで買った銘柄のほぼすべてで利益を出すことができました。
厄災から何を学ぶか
多分に自慢話のように聞こえるかもしれませんが、これは偶然ではなく、歴史に学び準備してきたからだと私は考えています。歴史から学ぶ意義はここにあると痛感すると同時に、教訓をどう活かすかという判断が問われるような気がします。
感染症がコロナで終わるとは限らず、第2・第3のコロナが発生する可能性もある。「100年に一度」と言われても、101年後に来るかもしれない。ゲリラ豪雨の規模も頻度も増し、台風の勢力も強くなっている印象です。河川の堤防決壊、内水氾濫のリスクが高まっています。
あるいは今後、首都直下型地震や南海トラフ地震は高い確率で起こるといわれていますし、富士山の大噴火という可能性も指摘されています。地震・津波・洪水で命を落とす危険、住まいを失う危険、仕事を失う可能性は十分にある。
特に富士山が噴火すれば、静電気を帯びた火山灰が首都圏に降り注ぎ、精密機械の内部に入り込んでショートさせ、ほとんどの電子機器が止まり首都機能を喪失させて大混乱が起きるといわれています。変電所がダウンし電気も止まって携帯基地局のバッテリーも3~4日で尽き、震災時に電話がつながらなくても使えたツイッターなどのSNSすらつながらなくなるかもしれない。道路も灰でスリップして車が走れず、海外に逃げたくても飛行機も飛べない。噴煙と火山灰で家から一歩も出られない。
物流が止まり、災害援助も遅れ、誰とも連絡が取れず、状況がまったく把握できず、なすすべもなく茫然と立ち尽くすしかない状況に陥る可能性は十分にある。
この原稿を書いている21年2月13日深夜も、関東地方を比較的強い地震が襲いましたが、10年前の大混乱を思い出した人も少なくないと思います。「災害は忘れた頃にやってくる」ではないですが、余裕があるときに準備をしておくことです。「試合が始まってから練習不足を嘆いても遅い」のですから。