榎本 そういう意味でも、今回の労働基準法改正案のように、法律で縛ってハピネスな働き方が実現できるわけがありません。もっと大きな視点で考えることが重要です。法律ができてしまうと、現実を法律に合わせようとする動きもできかねません。
たとえば、待機児童ゼロを目指すある地域で、「第1子を保育園に通わせている親が、第2子を出産し育児休業を取得した場合、第1子が0~2歳児の場合は原則として退園となる」という制度を導入し「少子化対策に逆行している」と話題になりました。待機児童ゼロを目標とするあまり、本末転倒な施策を行った事例ですが、このように本質的な問題解決よりも、法律で縛った目標達成のために現実を無理矢理合わせていこうということが起きかねないのです。
日本賃金研究センター代表幹事の楠田丘氏から伺った話ですが、楠田氏がかつて第1回目の『労働白書』を書かれた時、人間を真ん中に置き、右に「市場経済」、左に「福祉・人材社会」と書かれたそうです。しかし当時、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)から「日本に左側はいらない。市場経済だけでいい」とクレームが入り、やむなく「福祉・人材社会」の項目を削除されたということをお聞きしました。そこから日本の労働観は歪められたということでした。
その時から日本人は「仕事と幸福」についての本質的な議論を避け、法律や制度ありきの社会をつくってきたのだと思います。今こそ、本質的な議論に立ち返る時だと思います。
社員を大切に育てない会社に未来はない
阿部 そもそも日本人の仕事観には「働くことが粋である」という感覚があったと思います。楽しく良い仕事をしている人を尊敬する文化があったと思います。その原点に戻っていく必要があります。
あるサービス業の店を取材した時、その店を観察しているとどうもおかしいというところが見えたので、店長に「あなたのところはブラック企業だね」とストレートに言ったことがあります。店長は驚いていましたが、私はこう言いました。「従業員はあなただけを見て仕事をしているよ。お客さんほったらかしで、とにかくあなたに怒られないように仕事をしているではないですか」と。
実際、新規のお客が来店すると、店員はほかのことはそっちのけで必死に接客していました。「新規のお客は逃すな」という厳しいノルマがあるのは明白でした。新規のお客が入店しないで帰ってしまうと、店員は暴言を吐いていたのです。店長を見て仕事をしていることが明確でした。このような会社では、誰もハピネスになりません。いまだに、社員に対して「人が大事」と言いながら、実際は会社の道具、コストだと考えている経営者がいるのは現実です。