佃煮を10年間売り続けるおばあちゃんが実践する、膨大な仮説検証プロセス
顧客中心主義のあるべき姿
朝市のおばあちゃんと、この価格勝負に悩むマネージャーの決定的な違いは、2つある。
ひとつ目は、最終消費者に会っているかどうかの違いだ。
朝市のおばあちゃんは、10年間毎日消費者に会っている。お客さんとの会話を通じて彼らのプロフィールを理解し、試食したお客さんの反応を見ながら、どの人にどの商品が受けるかを身をもって肌身で感じて理解している。そうやって得られた情報を、食品工場や店の責任者である息子さんたちに日々の世間話に交えながらフィードバックしている。この朝市で売られる佃煮には、この膨大な仮説検証によって蓄積された「お客が買う理由」が凝縮されているのだ。
一方の価格勝負に悩んでいるマネージャーが勤める会社は、最終消費者にはほとんど会えていない。確かに消費者の評価は高い。しかし、そのことが消費者に伝わっていない。さらに「消費者の評価は高い」と思っているが、必ずしもそれが実際に「お客が買う理由」につながっていない。
たとえばある加工食品は「美味しい」と評判で、かつては4人家族用を想定し4人分まとめて包装していたが、売り上げが徐々に落ちてきた。そこで単身家庭やシニア夫婦からの「美味しいけど多すぎる。残すのがもったいないので、ウチでは買えない」という声を受けて、個包装にしたところ、販売が伸びた。つまり「美味しい」だけでは買う理由につながっていなかったのだ。
毎日お客さんと話している朝市のおばあちゃんなら、「ああ、そういえば今朝、私と同年代のご夫婦が、『もっと小さくしてくれれば買うのに』って言ってたわよ」と息子さんに話して、「じゃあ、これで売ってきなよ」と個包装にした商品を渡して、その翌朝には対応しているだろう。しかし最終消費者に会えていない会社ではそのようなニーズは拾えず、「美味しいのに、なぜ売れないのか?」と悩むのだ。
2つ目は、愉しんでいるかどうかの違いだ。
朝市のおばあちゃんは、「10年間、1日も欠かさずお客さんに会っている」と心から愉しそうにしている。「自分がやりたいことを、やっている」という実感と、「働く喜び」が、小さな身体全体から湧き出ていた。好きなことをやっているので、アイデアも湧き上がってくる。一方の食品メーカーの幹部は、辛そうだ。思考も堂々巡りから抜け出せていない。