9月10日、広島東洋カープが25年ぶりにセ・リーグ優勝を果たした。
黒田博樹、新井貴浩という2人のベテランが復帰し、優勝への機運が高まった昨年は打線がうまく機能せず、4位という結果に終わった。
そして今年。在任2年目の緒方孝市監督のもと、若手とベテランがうまく合わさり、勢いを切らさないまま9月を迎えると一気にマジックを縮め、10日、マジック1のカープは2位の読売ジャイアンツとの直接対決を制し、リーグ優勝が決まった。
待ちに待ったリーグ制覇。
1998年から2012年まで15年連続Bクラスという不振にあえいだカープだったが、その風向きが変わるのを感じられたのが、前監督の野村謙二郎氏の政権時だった。
今、カープで活躍している選手の多くは、野村氏が監督をしている時期に芽を出し始めたのだ。
丸佳浩、菊池涼介、野村祐輔、中崎翔太、今村猛、大瀬良大地、福井優也…。ブラッド・エルドレッドも野村氏が監督の時にカープに加入し、2013年の球団初のCS出場に貢献した。不動の1番打者・田中広輔も野村政権最後の年に加入し、経験を積んでいる。
■苦しんだ監督1年目、力み過ぎていた。
野村氏が5年の監督在任期間を振り返った『変わるしかなかった。』(ベストセラーズ刊)によれば、2010年、監督に就任したばかりの野村氏は優勝だけを目指し、低迷するチームを変えようと躍起になっていたという。
自分から積極的にノックを打ち、選手にアドバイスをする。シャカリキに動く。気持ちのこもった指導を続けた。「力み過ぎているんじゃないか?」と言われることもあったが、「そんなことはないです」と返した。
結果、現ドジャースの前田健太が投手3冠に沢村賞、梵英心が最多盗塁を記録するなど、個々で活躍する選手は出てきたが、チームは借金26で5位と低迷。
苦しんだ野村氏はここから劇的に「変わる」のである。
■「指導法を変える」。それは哲学を曲げること
2010年シーズンが終わり、野村氏が変えたのは「指導法」だった。
1年間、自分なりのスタイルでやってみたが、結果が出ない。そこで野村氏は、春季キャンプにのぞむにあたり、指導をコーチ陣に任せてみることにしたのだ。自分は口を挟まない。選手たちをじっくり観察することに専念し、気付いたことを伝える程度にとどめたのである。
現場にがっつり口を出すのは、コーチ陣を信頼していないのと同じ。コーチは専門分野を持って指導しているのだから、彼らに任せる。そして自分は、一歩引いて、全体を見渡せる位置に立ったのである。
この時期のことを野村氏は次のように振り返っている。
――新しい考え方に慣れるまでは、本当に苦労した。それは考え方を変えるだけではなく、自分の哲学を曲げることと同じだった。正確に言えば曲げるわけではないが、現実に合わせていったんフタをするという感覚だった。
『変わるしかなかった。』p80より引用