2月13日に起きた、マレーシア・クアラルンプール国際空港での金正男氏暗殺事件から一カ月弱が経とうとしているが、事件の余波はいまだ収まる気配がない。
マレーシア当局の捜査と司法解剖によって、暗殺手段や犯行当日の実行犯らの行動は明らかになりつつあるが、この件に関与していると思われる北朝鮮上層部が、権力から遠く、政治的野心があったとも思えない正男氏をなぜこのタイミングで殺害したのかという点は不明のまま。
北朝鮮側が関与を認めることもあり得ないため、今回の件も結局は詳細が明らかになることはなく、「予測不能な北朝鮮」という印象を裏付けるエピソードの一つになりそうだ。
■「金正恩は独裁者」の裏にある内部事情
今回の暗殺事件もさることながら、国際社会からの非難にもかかわらず核実験・ミサイル発射を強行し、拉致事件の印象も強い北朝鮮は、日本人にとって「恐ろしい」以上に「理解に苦しむ」国であるというのが正直なところではないか。
しかし、同じ朝鮮民族であり、38度線を挟んでこの国と対峙している韓国人にとっては逆である。「理解はできるが、あまりにも切実な脅威」なのが北朝鮮なのだ。
『韓国人による北韓論』(シンシアリー著、扶桑社刊)で綴られている「韓国人の北朝鮮観」からは、日本人があまり知ることのない北朝鮮の実像が見えて興味深い。
たとえば、日本人の多くは北朝鮮を「金正恩という独裁者が恐怖政治によって統治している国」だと思っているが、本書によるとこれは正確ではなく、実際は金正恩氏とそれを支える「貴族階級」によって北朝鮮の体制が維持されているというのだ。
この貴族階級の代表的な存在が「パルチザン血統」だ。これは1930年代、後に北朝鮮の初代統治者となる故・金日成氏とともに抗日闘争に参加した仲間たちとその子孫を指す。つまり「建国の功労者」として高い地位を与えられている人々である。
彼らの多くは「朝鮮労働党」の中核で、既存の国家システムから大きな既得権益を得ている。この既得権益が守られる限りは、金正恩氏への支持が大きく揺らぐことはない。逆に、彼が心変わりを起こして自由化や解放に舵を切ろうとした時は、パルチザン血統の既得権益が脅かされることになり、大きな抵抗が予想される。
金正恩氏が強い権力を持っているのは確かだが、一方で方針転換は許されず、既存システムのレールに乗って「暴走」を続けるほかないという面もあるのだ。
■口にしたら死刑! 正恩がもっとも恐れるある「噂」
その金正恩体制が執拗に警戒しているのが、彼の「血筋」への攻撃だ。
金正恩氏は、知っての通り故・金正日氏の息子だが、妾の子であり本物の「白頭血統(北朝鮮のロイヤルファミリーの血統)」ではないという主張が、脱北者団体らが韓国側から発信するメッセージを通じて北朝鮮国内で広がりつつある。
これは、まぎれもなく現体制の正統性への攻撃であり、北朝鮮国内では口にしただけで死罪になるという。2014年には、こうしたメッセージが添付されて韓国側から飛んできた風船を北朝鮮が銃撃し、その銃弾が韓国側に落ちたために韓国軍が応戦射撃するという、北朝鮮が金正恩氏の血筋の話題にいかに神経質になっているかがわかる騒動も起きている。