ベートーヴェンとチャイコフスキーの“迷”曲…演奏で本物の大砲を使用し他国を攻撃
しかも、平民出身のナポレオン(正式には、イタリア系の貴族の血を引く家系)が、旧体制の王侯貴族が支配している国々を打ち破っていくのは、それこそベートーヴェンにとっても理想的人物であり、たとえば1804年に作曲した『交響曲第3番』には、当初、『ナポレオン』というタイトルをつけて、ナポレオンに献呈しようと考えていたほどでした。
ところが、その1804年、ナポレオンはフランス皇帝になりました。しかも、自分の子孫に王権を世襲させるという条件付きでした。つまり、啓蒙思想の理想像と思っていたナポレオンが、血族を重んじる皇帝になってしまったわけで、失望したベートーヴェンは『ナポレオン』と書かれたタイトルを破り捨てたといわれています。
敗者にムチ打つイギリス人
ウェリントン将軍に話を戻します。彼は、1815年に復位したナポレオンが率いたフランス軍をワーテルローの戦いで再び破り、その後、英国政府によりナポレオンは、アフリカ大陸からも2800kmも離れた南半球の孤島、セントヘレナ島に送られてしまいます。
セントヘレナ島に行くのは現在でも大変で、2017年に南アフリカからの定期航空便が就航するまでは、南アフリカのケープタウン港から5日間もかかる船でしか渡航手段がありませんでした。そんな、地の果てを越えたような場所に送るとは、よほどヨーロッパ諸国もナポレオンを恐れていたのでしょう。これによって、有名なナポレオンの「100日天下」は終わるわけですが、この話を最後に話したかったわけではありません。
激戦地のワーテルロー(Waterloo)を英語にすると、“ウォータールー”です。ロンドンに住んでいた方ならピンと来ると思いますが、以前はロンドンからパリ行きの電車に乗る駅は、ウォータールー駅でした。つまり、ロンドンに遊びに来たフランス人は、ウォータールー駅からフランスに帰るのです。たとえば、日本人の皆さんが、アメリカから日本に飛行機で帰るとして、「ミッドウェイ空港」「イオウ・アイランド空港」からしか飛行機に乗れないとしたら、第2次世界大戦での敗戦を理解していても、少し複雑ではないでしょうか。しかし西洋人は、そんなことをまったく気にせず、敗者をコテンパンにあしらうというのも、文化の違いです。
(文=篠崎靖男/指揮者)