プロ野球2021年シーズンは、2年連続の最下位から大躍進を果たした東京ヤクルトスワローズがセ・リーグを制した。1軍監督は高津臣吾氏、1軍投手コーチは伊藤智仁氏、2軍監督は池山隆寛氏等、コーチ陣に1990年代のスワローズ黄金期の主力選手たちが指導者として名を連ねている。
「ID野球」で90年代のヤクルトを4度のリーグ優勝、3度の日本一に導いたのが、2020年2月11日に永眠した野村克也氏だ。ヤクルトコーチ陣をはじめ、古田敦也氏や宮本慎也氏、稲葉篤紀氏等、引退後も指導者として、解説者として、野球界で活躍している野村氏の教え子たちは多い。それだけ野村氏の教えが浸透しているということだろう。
リーグ制覇 高津臣吾が野村克也から命じられたこと
『証言 ノムさんの人間学 弱者が強者になるために教えられたこと』(古田敦也+宮本慎也+山﨑武司+赤星憲広ほか著、宝島社刊)では、野村克也氏の生き様、思考を弟子たちが告白するオムニバス証言集だ。古田氏、高津氏、宮本氏ら16人が、野村克也氏の素顔、秘話、名言を語る。
高津臣吾氏は、1990年ドラフト3位でヤクルト入団。シンカーを武器にクローザーとして4度の日本一に貢献。最優秀救援賞は4度獲得。メジャーリーグにも挑戦し、シカゴ・ホワイトソックスで活躍。2020年からヤクルトの1軍監督を務めている。
「時速150キロの球を投げる腕の振りで100キロの球を投げなさい」と、不可能とも思える指令を高津氏に言い渡したのが、当時ヤクルトの監督だった野村氏だった。試行錯誤を重ね、100キロ台で大きく沈む「遅いシンカー」を習得した高津氏は、シンカーを武器にクローザーとして君臨。ヤクルト黄金期には欠かせない存在となった。
高津氏は現役時代、野村氏からどんなことを学んだのか。野村氏の教えは、技術指導というよりも、うまくなるために、強くなるために、精神論や考え方といった部分の指導が大きかったという。最後はうまく投げれるようにというところにつながっていくが、スタートするところは答えから遠いところからスタートする。精神的なところ、考え方、取り組み方からひも解いて、答えを導いていく。その答えに向かっていくという方向づけの指導をするのが野村氏の指導法だった。この指導法は、高津氏が指導者になった今だからこそ、納得できるところがたくさんあり、大事なことだったんだな、と参考になるところが多いという。野村氏の教えは受け継がれ、高津氏が率いるヤクルトのリーグ優勝にも繋がったのだろう。
細かいデータ野球とともに、人間としての成長も重要視した野村氏の教えが、今の教え子たちの引退後の活躍に役立っていることは間違いない。また、野村氏の指導法や考え方は、野球だけでなく、どんな職業に就いている人でも、社会人として、人として、成長するために役に立つことが多いはずだ。(T・N/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。