「客引きの縄張り争いで一般人が被害に」歌舞伎町を主戦場とするカメラマン・権徹が緊急警告!
ニッポンの高度経済成長とともにあった東洋一の歓楽街、新宿・歌舞伎町。映画館の相次ぐ閉館や、ランドマークともいえた新宿コマ劇場の取り壊しによって、素人眼にもかつてのような活気が感じられなくなったこの街は、果たしてどう変わってきたのか。16年にもわたって歌舞伎町を撮り続け、先ごろ、その集大成として単行本『歌舞伎町』(扶桑社刊)を上梓した韓国人写真家・権徹氏に訊いた。
–長年にわたって街を客観的な立場で見て来られて、“浄化作戦”の以前と以後で、大きな変化は感じますか?
権徹 いちばんの問題は、浄化作戦でヤクザの力が弱まったことで、客引きたちの無法地帯になりつつあるということ。ヤクザのすべてがいいとは決して思わないけど、彼らの力が及んでいたころには保たれていたはずの、ある種の秩序が崩れてしまったのは事実です。かつてはビルの隙間に隠れてコソコソやっていたようなことを、いまでは監視カメラの下で堂々とやっているんですから、あれはいったい誰のためにやったことだったんだということになりますよね。
–著書を拝見しても、客引きと一般人とのトラブルは増えているみたいですよね。実感として治安は以前より悪化していると?
権徹 確かに裏カジノやDVD屋は減ったし、中国や韓国、東南アジア系の不法外国人は壊滅状態になりました。が、それと同時に客引きたちや、アフリカ系の黒人たちは増えている。条例で行為自体が禁止されているにもかかわらず、いまでは歌舞伎町だけで1000人を超える客引きがいると言われています。警察も定期的に摘発はしているみたいですが、その数はせいぜい年間数十人。一度逮捕されて罰金を払ってしまえば、それでおしまい。そのうえ、あれだけ監視カメラがあるのに、「顔の確認ができない」という理由で現行犯でしか摘発できないんですから、根本的な解決になるはずはありません。
–警察は基本的にトラブルが起きてからしか動いてくれませんしね。
権徹 そうなるといちばんの被害を受けるのは、街にお金を落とそうと足を運んでくれた一般人なわけです。しかも、そうしたトラブルのほとんどはいわゆる“裏”の風俗で起きますから、被害者も容易には訴えません。組織立って動いている客引きたちはそれを知っているから、警察が来るまえにボコボコにしてしまったりもするわけです。いまからでも遅くないから、誰がいちばん得をして、誰が損をするかっていうことをよく考えてほしいと思いますよ。そのバランスを保つのが権力の役割だと思うので。
–ところで権さんは、そもそも、なぜ異国の地である、日本で写真家になろうと思ったのですか?
権徹 もともと大学での専攻は理工系だったんですけど、韓国の民主化運動や、炭鉱労働者を撮っていた先輩がいて、その人の影響で写真に興味をもつようになったんです。で、その先輩に「写真を勉強するなら日本のほうがいい」とアドバイスされて、94年に渋谷の日本写真芸術専門学校ってところに入りました。最初は、学校を卒業したらすぐ帰るつもりだったんですけどね。
–それから、かれこれ19年。歌舞伎町を撮り続けてるわけですね。
権徹 何度か帰ろうかなと思うタイミングはあったんですけど、そのたびに周囲でなにかしらの大きな変化があったんですよね。本格的に日本に腰をすえようと思ったのは、02年の日韓ワールドカップ。職安通りをはじめ新宿のあちこちに韓国人があふれていたあの光景を見て、もうちょっとこっちでがんばってみようと思ったわけです。
それに、歌舞伎町はやっぱりおもしろい街。もちろん、世界中の紛争地で活躍する戦場カメラマンの技術や精神力は称賛に値しますけど、現代の戦争は武器を売るというビジネスの舞台という見方もできる。それを考えると、たとえ爆弾は落ちなくても、秩序も理由もなく、至るところでいさかいが起きる歌舞伎町のほうがよっぽど本物の戦場じゃないかと思うんです。
–確かに、人間の業や欲望が剥きだしになる街です。
権徹 緊張感のなかで、カメラを構えて狙ったその一瞬を切りとるためには、戦場カメラマンと同じような精神力も必要ですから、歌舞伎町は腕を磨く場所としても最適。そういう意味でも、僕の場合は軍隊時代に海兵隊でスナイパーをやっていた経験が役に立っていますね。
–まさにシューティングしているわけですね(笑)。これからも歌舞伎町を主戦場としていくおつもりですか?
権徹 本当は、福島第一原発事故を機にサヨナラしようかとも考えていたんです。そんなときに、この本の出版の話が舞い込んできた。放射能汚染は心配ですが、原発事故もひとまず最悪の事態を回避したようだったので、もう少しニッポンに踏みとどまり、3.11以降の歌舞伎町を撮り続けようと思い直しました。
街を訪れる人の数は確かに減ったが、彼らの遊び方そのものは昔もいまも変わっていないと権徹氏は言う。安倍政権がデフレ脱却を掲げて数多の経済政策を推し進めるなか、歌舞伎町がこの先どう移り変わっていくのか。“歌舞伎町スナイパー”の眼は、今後も行き交う人々と、それを取り巻く街のリアルを俯瞰し続ける――。
(文=鈴木長月)
【プロフィール】
権徹(ごん・ちょる)
1967年、韓国生まれ。大学在学中の88年に休学して海兵隊に入隊。大学卒業後の94年に来日し、日本写真芸術専門学校に入学。報道写真家・樋口健二氏に師事する。歌舞伎町での活動のほか、中韓国境沿いの脱北者や元ハンセン病患者、在日朝鮮人部落なども精力的に取材するなど多方面で活躍中。その他の著書に『歌舞伎町のこころちゃん』(講談社刊)などがある。
『歌舞伎町』
若き日には海兵隊で狙撃手だった経験もある写真家・権徹氏がファインダー越しに切りとった歌舞伎町の16年をまとめたフォトルポルタージュ。緊迫感あふれる騒乱現場から芸能スクープまで、歌舞伎町という特異な街の“リアル”をとらえた写真の数々が、本人の手による平易な文章とともに綴られる。報道だけでは分からない極彩色に彩られた歓楽街の変遷、実情を知る上でも貴重な1冊だ。第44回講談社出版文化賞写真賞を受賞。
発売/扶桑社 価格/1995円(税込) 発売中