「治療方法がない疾病にかかり、その激痛に耐えかねて、床の上で転がり回って苦しんでいる人に対して、あなたは『それは治療する手段がありません』『死ぬまで我慢してください』と言えるでしょうか?」
今回のテーマは、性同一性障害で、男性から女性に性転換をされた方から頂いた1通のメールを元に進めたいと思います。
メールには、当サイト記事『同性間で子どもをつくることは可能か?将来的には高い確率で可能~その技術的検証』 に対する感想と、「子どもが欲しい」という切実な気持ちが綴られていました。また、『出産しやすくする“技術的”方法~出産時期を調節、出産・育児を外部委託…』で言及した「人工子宮」や「出産のコントロール」への期待を願われている様子が、ひしひしと伝わってくる内容でした。
私はこれらの提案を、少子化対策の技術的アプローチから行ってきたのですが、性転換をされた人たちにとって、どうしても越えられない問題の一つ「出産」を解決する手段にもなることに気がつきました。この件について、ここからもう一度検討してみようと考えました。
しかし、ここではたと気がつきました。私は「性同一性障害」について、まったく知らなかったのです。
まず、「性同一性障害」が、どういう障害なのか、なぜ発生するのか。また、メールに記載されている各種の用語「TS」「TG」「FTM」「GID」の意味もわかりません。さらに、性同一性障害についての法律や裁判などについては、断片的な知識があるだけです。
そこで、今回と次回の2回に分けて、「性同一性障害」の全体像を理解したいと思います。
性同一性障害患者は苦しんでいる
「性同一性障害」とは、最も広い定義では「生物学的な性と、自己認識の性が一致しない疾患」となります(この「疾患」という用語には、一部に異議もあるようですが、今回はこの定義で進めます)。
さらには、「自己意識に近づけるために性の適合を望む状態」を含む解釈もあるようです(『Modern Physician 25-4 性同一性障害の診かたと治療』<山内俊雄/新興医学出版社>)。従来、男性3万人に1人、女性10万人の1人の割合で存在する、とされてきました(「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」より)が、最近の報告では2800人に1人程度ともいわれています(4月21日付日本経済新聞記事より)。
ここで一番重視しなければならないことは、「性同一性障害」患者は「苦しんでいる」ということです。
それは、「24時間365日、一瞬の休みもなく苦しみ続け、それを完全に治癒する対処法が存在しない」という絶望的な苦しみです。「性」を意識せずに生きることができる社会など、存在しないからです。
その苦しみの具体例については、多くの書籍に記載があります(『性同一性障害-性転換の朝』<吉永みち子/集英社新書>など)ので、ここでは多くは記載しませんが、
・「醜悪に変化し続ける自分の体に怯える10代」
・「制服やスーツで『女装』『男装』を強いられる日々」
などの心の苦しみ、
・「危険なヤミ治療、ホルモン投与、莫大な費用がかかる海外での手術」
など、体の苦しみや経済的な苦しみまで、さまざまなケースが綴られています。
かなり無茶なアプローチであることは承知の上で、この「苦しみ」の定量化を、日本における自殺未遂者の数で比較してみました(亡くなった人からは、その理由を聞き出せないため)。
自損行為による救急自動車出動件数(7.4万人/年<「平成23年版 自殺対策白書」より>)を日本の人口で割ってみたところ、0.0582%という数が出てきました。これに対して、「性同一性障害」における自傷・自殺未遂件数の比率は28.4%で(「セクシュアルマイノリティの自殺および自殺未遂のリスクについて」より)、その比率は実に約490倍です。
この数字に意味があるかどうかはさておき、「性同一性障害」が、その障害を持っていない人間からは、想像することができないくらいの苦しみであることだけは理解できると思います。
性同一性障害発生のメカニズム
そもそも、なぜ「性同一性障害」が発生するかを調べてみました。
まず「性同一性」という言葉からわかるように、人間には少なくとも2種類の「性」がある、とされています。
第一の性が「生物学的性」です。
一般的に「セックス」と呼ばれるもので、性染色体で決定されるものです。染色体には23ペアがあり、その中の1ペアが性差を決定するものです。そのペアの染色体の形状からXX染色体(女性)、XY染色体(男性)と表記されています。
第二の性が「自己意識の性」です。
一般的には「ジェンダー」と呼ばれるもので、自分で認識する性です。当然これは脳で認識することになるのですが、上記の性染色体によって製造されることになる性ホルモンが、「男性脳」と「女性脳」をつくるという説(ホルモン説)が有力なようです。
ちょっと話がそれますが、私は、この「男性脳」「女性脳」の話を読んで、かなりビックリしました。
それは、「セックス」はともかく「ジェンダー」は、後発的な教育(悪く言えば「洗脳」)の産物だと思っていたからです。
簡単に言うと、「自己意識の性」は、「男の子らしい」「女の子らしい」という、外界からの刷り込みで完成するものと考えていて、やり方によっては、そのどちらでもない性(例えば、「犬らしい」とか)を後発的につくり出すこともできると思っていたのです。
そのように考えると、ボーヴォワールの著書『第二の性』(新潮社)は、「第三の性」と呼ばれるべきものかもしれません。
ここで、「ホルモン説」によれば、「セックス」と「ジェンダー」は常に一致しており、「性同一性障害」が発生することの説明がつかないのではないかとの疑問が湧いてきます。
どうやら「セックス」も「ジェンダー」も、ベルトコンベアーの製造ラインでつくられる缶詰のように正確につくられるわけではないらしいのです(『性転換手術は許されるのか』 <山内俊雄/明石書店>)。
受精直後の胚(受精卵)は、男でも女でもない状態で、性染色体(XX、XY染色体)が働きかけて、性器等の製造(細胞分化)が始まります。
ところが、男性の性器(睾丸等)の形成が、一定のタイミングで明確に開始するのに対して、女性の性器(子宮等)は、「男性器への分化が発生しなかったら、女性器の分化が始まる」という、なんとも不安定な条件下で形成されるのです。
この不安定な状態で形成された性器によってホルモンが分泌されることで、さらに性器生成プロセスが強化されることになります。そして、細胞分化は一方的方向に進み、後から修正ができません。
つまり、性器の製造プロセスが開始された後は、男は男の体として、女は女の体として、成長が進んでしまうのです。
加えて、「男性脳」「女性脳」の発生プロセスも、明確ではないようなのです。
具体的には、胎生期(胎生5~7カ月)に、脳が「男性ホルモン」にさらされると「男性脳」ができあがり、さらされないと「女性脳」ができあがるという説が、現在のところ有力です。
では、ここで問題です。
設問:性器の形成開始時に、性染色体の読み間違いが起きたり、あるいは、性ホルモンの分泌量が多かったり少なかったりしたら、一体何が起こるでしょうか?
答え:男性の体形を有しながら「女性脳」を有する、または女性の体形を有しながら「男性脳」を有する赤ちゃんが誕生する。それは、「セックス」と「ジェンダー」の不一致が、生まれた時に確定的に決まっている赤ちゃんです。
「そんなの、どうしようもないじゃないか」と、私は思わず叫んでしまいました。
この性決定メカニズムの不安定さを見る限りにおいて、「性同一性障害を伴って生まれてくる人はマイノリティ(少数派)である」のではなく、「性同一性障害を起こすことなく、生まれてくることができた『運のいい人』が、たまたまマジョリティ(多数派)である」という言い方が正しいように思えます。
性同一性障害に対する誤解
さてここで、性同一性障害に対する、世間の最大級の誤解を3つ、ご紹介したいと思います。
(1)「同性愛」とは、まったく関係ありません
性同一性障害とは、単に「生物学的」な「性」と「自己意識」の「性」が一致していないという「状態」をいい、それがとてつもないレベルの苦しみ(24時間365日)を伴うので、便宜的に「障害」と呼ばれるものです。そこに「恋愛」が介在する余地はありません。
ただし、あえて「恋愛」の場面を想定してみると、例えば、「女性脳」の人が、 男性を恋愛の対象とすると、(a)生物学的な性としては同性愛といえるが、(b)自己意識の性としては異性愛といえる、という状況が発生することになります。
(2)「発達障害」や「精神疾患」とも、まったく関係はありません
自閉症や知的障害等があるわけではありませんし、脳(脳細胞あるいは「心」)の機能的・器質的な障害(統合失調症、躁うつ病、パニック障害、適応障害等)があるわけでもありません。
(3)「性同一性障害」とは、「生物学的な性と、自己認識の性が一致しないことで、苦しみを伴う疾患」であり、それ以上でも、それ以下でもありません。
では最後に、この冒頭の質問の主客を入れ替えて、もう一度あなたにお伺いしたいと思います。
「あなたが治療方法のない疾病にかかっており、その激痛に耐えかねて床の上で転がり回って苦しんでいる時に、誰かから『それは治療する手段がありません』『死ぬまで我慢してください』と言われたら、あなたならどうしますか?」
では、今回の内容をまとめます。
(1)性同一性障害とは、「生物学的な性と、自己認識の性が一致しない」「絶望的な苦しみを伴う」疾患である。
(2)その発生原因は、性を決定する生物学的機能の不安定さにあり、不安定なまま誕生し、本人の資質や努力では治癒できない。「同性愛」や「精神疾患」等とも一切関係がない。
次回は、性同一性障害で苦しんでいる人に対する、現状の社会の対応(医療、法律など)についてお話ししたいと思います。
(文=江端智一)
※なお、図、表、グラフを含んだ完全版は、こちら(http://biz-journal.jp/2014/06/post_5245.html)から、ご覧いただけます。
※本記事へのコメントは、筆者・江端氏HP上の専用コーナー(http://www.kobore.net/gid.html)へお寄せください。