前回記事『不妊治療、なぜ女性を蝕む?~卑怯な男性、周囲の無理解、医療の進歩が闇を深くする』、前々回記事『妊娠という非効率的メカニズム~私達の体に書き込まれている「出産させないシステム」』では、出産年齢と不妊の厳しい関係を説明致しました。
さて、ここでもう一度、少子化における「出産年齢」と「不妊」の問題の背景を整理してみたいと思います。
(1)過去においては、結婚して夫に寄り添い、子どもを産んで育てることが、典型的な女性の生き方であったのに対して、女性は仕事の道を進むことを――自己実現のためであれ、経済的な理由であれ――余儀なくされ、そして、仕事と子どもの両方を得ることが絶望的に難しいという現実に直面しています。
(2)仕事で実績を獲得するためには、長期間にわたり、仕事に専念することが強要されます。キャリアは女性に対して、結婚や出産の問題を「後から考えろ」と命じていながら、いざ子どもを産むことを考える時期には、女性の卵巣には、もう十分な数の元気な卵子が残っていません(当サイト記事『出産させないシステムが完成した日本~破滅衝動=結婚をなぜ越えられないのか?』)。
「このままでは国は滅びる。前世代(女性が今よりも差別的に扱われていた時代)の体制に戻すべきだ」と主張する論者もいるようですが、ナンセンスです。それに正直なところ私たちは、日本という国家が将来どうなろうが、そんなことはどうでもよいのです。
私たちが子どもを欲しいと願うのは、子どもと共に生きることによって幸せな人生を送ることができると信じているからで、(原則として)「自分が、今存在していることは幸せなことだ」と考えているからこそだと思います。
「日本国のために、子どもを産んで育てる」という人など、いないのではないでしょうか。
私は以前のコラムで、政府の少子化対策は出産後の「アフターサービス」の施策の話にすぎず、現実に「子どもが産まれてこないこと」そのものの検討が絶無であると批判しました(当サイト記事『出産させないシステムが完成した日本~破滅衝動=結婚をなぜ越えられないのか?』)。
また、『“結婚”未来予測~増え続ける生涯未婚率、今年生まれる子どもの半分は結婚を選択しない?』の記事において、次のような記述もしました。
・男性が出産することは当面無理だとしても、それ以外の手段があるのではないか?
・原理的に可能な状態に至っている技術があるのではないか?
・なぜ、それが政府の少子化対策の前面に出てこないのか?