その結果、その商品より品質で劣ってもより廉価なものの消費が支配的になり、結果として生産者の経営は厳しくなり、廃業に追い込まれることもあり、その「よいもの」は生産されなくなっていきます。そして、その「よいもの」がなくなってしまうことすらあります。
こういった現象は、消費者が区別できない識別性の問題で発生すると経済学的に説明されており、「悪貨が良貨を駆逐する」とか「レモンの原理」などといわれています。しかし、よいものをよいと評価できるのは、決して商品そのものに識別可能なラベルのようなものがあるかどうかという情報の非対称性に関わる問題だけでなく、消費者側のリテラシーの水準によっても変わります。現在は特に消費者側のリテラシーが以前と比較してかなり水準が落ちているのが、「よいもの」が市場から消えて行くひとつの原因になっているのではないかと感じます。
●縮小する高級食材市場
まず多くの高級食材の市場が縮小しています。高級食材はそれが高級であると評価する消費者がいなければ成立しません。無論、消費者の所得が減少すれば、こういった奢侈的要素のある商品はなかなか売れなくなっていきますが、それにしても市場の縮小がかなり急速です。具体的にはいくつも例があります。そこで2つ例を出します。
京都などの日本海側の産地で漁獲されるヤナギムシガレイは福井ではササガレイと呼ばれていますが、現在産地価格が暴落しています。大して漁獲量は変わっていないにもかかわらず、価格は以前の3分の1です。養殖トラフグも生産量がそれほど増えたわけではないのに、同様に価格が以前の3分の1まで下がっています。
こういった状況は、確実に漁業者や養殖業者の経営を圧迫しています。ヤナギムシガレイの干物は絶品であり、本当に幻の魚、という感じのものです。また近年の国産養殖トラフグは極めて味が高い水準でコントロールされていて、首都圏では夏場でもてっさ(刺身)や焼きフグで楽しむことができます。にもかかわらず、消費量が少なくなっていっているのは、消費者が「どうしてもほしい」と感じるようなものではなくなったからかもしれません。
●なぜ消費者は「どうしてもほしい」と感じなくなったのか?
しかし、それではなぜ「どうしてもほしい」と感じなくなったのでしょうか。無論、「財布事情が厳しい」という理由もあるでしょうが、そもそもそれが素晴らしいものであるということを知っている世代がリタイアしてしまって、現役世代が「よいもの」を知らないという理由もあるのではないでしょうか。実際に多くの人に話をしても、トラフグを食べたことがない人が多いですし、ヤナギムシガレイなんて聞いたことがない人がほとんどです。