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『ムカつくことには合理性がある~若き老害・常見陽平が吠える』(10月6日)

仕事をしていない風の老害社員は、本当に仕事をしていないのか?大きく組織に貢献?

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「Thinksock」より

●ジャイアント馬場は、亡くなる2カ月前までリングに上がっていた


 最初に、少しプロレス談義に付き合っていただきたい。ふと、故・ジャイアント馬場さんのことを思い出した。馬場さんが亡くなったのは1999年。ちょうど今年で15年だ。名前の通り、大きな人だった。公称209cmの長身。プロレスラーの中には、身長、体重をサバ読んでいる人は多数いた(最近は、正確に表記するようになっているとも業界関係者から聞いたが)。ただ、馬場さんは明らかに大きかった。

 馬場さんは80年代半ばくらいからタイトルマッチ戦線からは降りたものの、生涯現役だった。亡くなる約2カ月前の98年12月5日の東京・日本武道館大会までリングに上がっていたのである。6人タッグマッチで出番も少なめだったが、試合に出ていた。よく、プロレスに対する批判で「あんなものは八百長だ」「ピークをすぎた馬場が出ている時点で、ウソだろ」という声を当時よく聞いたものだが、そのたびに「お前、会場で観たのかよ」と反論していた。たとえ出番が少なくても、馬場さんは存在感があったし、技の説得力があったのだ。さすがプロと感じたものだった。

 この日はどうだったが定かではないが、筆者の記憶では地方巡業の際などには、グッズ売り場に座り、サインなどをしていた。見かけた瞬間、「あ、馬場さんだ!」と感激したのを覚えている。団体のトップであり、当時テレビのバラエティ番組やCMにもよく出演していた、あの馬場さんがすぐそばにいるのである。
 
 そんな馬場さんは、なぜ亡くなる2カ月前まで試合に出続けたのだろうか。本人にインタビューしたわけではないし、推測にすぎないのだが、「動員力があったから」だと筆者は考えている。当時の全日本プロレスのリング上では、四天王といわれる三沢光晴(2009年没)、川田利明、小橋建太、田上明などが激しいプロレスを展開していたし、スタン・ハンセン、スティーブ・ウィリアムスなど外国人選手も充実していた。しかし、長年プロレスでも、バラエティやCMでもテレビに出続けていた馬場さんは集客力抜群だったというわけである。

 余談だが、「テレビに出ている人(出ていた人)」がいるかどうかというのは、プロレスにおいては重要なのだ。リング上で亡くなってしまった三沢も、体調が悪いとか、社長業に専念したいと思っているなどと噂されつつもリングに上がり続けたのは、自身が大会ポスターに載っているかどうかが、集客に影響するからである。また、女子プロレスでも、クラッシュギャルズや北斗晶がブームを呼んでいた頃に活躍していたレスラーたちが出る大会に観客が入っていたのは、やはりテレビの影響力である。