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青木康洋「だれかに話したくなる、歴史の裏側」

NHK大河『真田丸』、三谷幸喜の脚本は歴史的に非常識?

文=青木康洋/歴史ライター

 1月10日、NHK大河ドラマ『真田丸』が始まった。

 過去にNHK大河では、戦国時代をテーマにした作品が数多く放送されているが、実は真田信繁(幸村)を主役として扱うのは今回が初めてである。信繁は、戦国時代屈指の人気武将だ。しかも、今回は脚本をヒットメーカーの三谷幸喜氏が担当するということもあり、放送開始前から期待を寄せる声が多かった。

『真田丸』の物語は、甲斐の名門・武田氏が滅びに向かうシーンからスタートする。当時の真田昌幸、長男の信幸(信之)、次男の信繁の父子は武田家配下の家臣である。もし武田家が滅びなければ、信繁も武田家の一部将として無名のまま生涯を終えたことだろう。しかし、武田家は滅亡し、寄る辺のなくなった真田の家族船「真田丸」は、戦国乱世という大海原に漕ぎ出す――。

 今後の波乱を予感させるには十分であり、視聴者がワクワクするようなオープニングだったといっていいだろう。

 ところで、真田丸といえば、「後年勃発した大坂の陣の際に、信繁が構築した砦」というのが一般的な解釈だ。しかし、ナレーションでも語られていたように、『真田丸』では、荒海に漕ぎ出した小舟のイメージに仮託されている。このあたりの新解釈は、三谷脚本ならではの妙味といえよう。

戦国乱世のターニングポイントだった1582年

 乱世の中を真田丸が漕ぎ出した天正10(1582)年とは、史実ではどんな時代だったのだろうか。

「天下布武」の旗印を掲げる織田信長は、この年まで順調に版図を広げていた。3月には、長年の宿敵だった甲斐武田氏を滅亡させ、このまま何事も起きなければ、天下統一を成し遂げていたはずである。

 しかし、武田氏滅亡のわずか3カ月後に本能寺の変が勃発し、武田氏を滅ぼした信長自身が家臣の明智光秀に討たれて落命、時代は再び混沌とする。これにより、その後の戦国レースを彩る主要人物たちも、さまざまな運命の変転に見舞われた。

 本能寺の変が起きた時、堺の町見物をしていた徳川家康は、わずかばかりの手勢とともに敵中で孤立したが、決死の思いで伊賀の山中を突破し、命を拾っている。この時、家康の下には穴山梅雪がいた。梅雪は初回の放送でも描かれていたように、武田家を裏切って家康に走った人物である。しかし、彼は家康と別ルートをとったため、一揆勢の襲撃を受けて殺害されてしまった。

 もし、家康が梅雪のルートで逃げていたら、後の天下人・徳川家康は存在しなかったことになる。そして、本能寺の変から11日後には、中国大返しを成功させた羽柴秀吉が信長の仇である光秀を山崎の合戦で討ち果たした。その後、秀吉は織田家の後継者を決める清洲会議を主導することで、天下獲りレースの大本命に躍り出る。

 つまり、天正10年は戦国時代の様相がガラリと変わった年なのだ。

主人公の名前は「幸村」か「信繁」か?

 ところで、筆者は『真田丸』を見ていて、ひとつ気になったことがあった。堺雅人演じる主人公の名前である。これまで「真田幸村」と呼ばれることが多かった主人公の名を『真田丸』では「信繁」と紹介しているのだ。

 実はこの人物、圧倒的に幸村名で知られてはいるが、「幸村」という名乗りは、生前の信頼できる史料には登場しない。彼の実名は「信繁」が正しいのである。

「幸村」という名が登場するのは、江戸時代に書かれた軍記物語や講談からである。その理由は定かではないが、徳川幕府の開祖・家康に歯向かった武将を英雄的に描く際、実名を出すことがはばかられたからかもしれない。

 さらに、大正時代に刊行された立川文庫の『真田幸村』が爆発的な人気を呼び、幸村の名を不動のものにした。現在でも、映画やドラマでは「真田幸村」と表記することが通例化しているほか、有名な歴史学者が書いた一般書でも幸村名で書かれ、「実名は信繁」と注釈を入れるのが普通である。

『真田丸』では、あえて実名の「信繁」を採用しているところを見ると、従来の「幸村イメージ」を覆そうとする制作者側の意欲が感じられる。

豪華キャストが演じる個性的な武将たち

 注目された『真田丸』の初回平均視聴率は、19.9%と発表された(関東地区、ビデオリサーチ調べ)。昨年の『花燃ゆ』が同16.7%、一昨年の『軍師官兵衛』が同18.9%だったことを鑑みると、まずは好発進といえるだろう。

 初回ということで、今後のストーリーや登場人物のキャラクターを視聴者に印象づけようという意図が目立っていたきらいはあったが、それを差し引いても、登場人物それぞれの個性が際立っていた。

 特に強い印象を残したのが、平岳大が演じた武田勝頼だ。インターネット上では、「初回のMVPは勝頼で決まり!」といった賞賛の声がしきりである。従来、勝頼は偉大な父・武田信玄亡き後の武田家を支えきれずに滅亡を招いた凡将として描かれることが多かったが、三谷脚本では優しさと品格のある悲劇の名将の雰囲気がにじみ出ていた。2回目の放送で、どのようなラストを迎えるのかが気になるところだ。

 また、草刈正雄が演じる信繁の父・真田昌幸も、なかなかのクセ者親父ぶりを発揮していた。信長の侵攻を目前にして、不安におびえる家族に向かい「武田は滅びぬ」と断言した直後に「いや、滅びる」と言を覆したあたりは、一筋縄ではいかない人物像を感じさせた。強力なバックボーンを持たなかった真田一族が戦国乱世を生き抜くことができたのは、この父あってこそである。

 また、信幸・信繁兄弟のキャラクターも明確に描かれていた。大泉洋が演じる兄・信幸は、真面目な堅物といった印象が強い。信幸は後年、父・昌幸、弟・信繁と敵味方に分かれることになり、後には信州松代藩の初代藩主として、明治維新まで真田家を存続させた礎を築いた人物でもある。

 そして、主演の堺扮する信繁だ。未知数ながらも天衣無縫でエネルギッシュな若者の魅力がたっぷり感じられた。30年後の大坂の陣で家康を恐怖のどん底に叩き込み、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と賞賛されることになる稀代の名将・真田信繁がどのようにつくられたのか、興味は尽きない。『真田丸』の今後の展開に期待したい。
(文=青木康洋/歴史ライター)

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