3月21日、オートレース発祥の地である船橋オートレース場が最終日を迎え、66年の歴史に幕を下ろした。約1万3000人の熱心なファンが訪れ、一時は車券が買えなくなるなど、全盛期を思わせる混雑ぶりを見せた。
文字通りの最終レースで“戦う支部長”こと永井大介選手が優勝を果たしてファンの声援を浴びる中、森田健作・千葉県知事が表彰状を手渡すと、場内のファンからは「帰れ」コールが巻き起こった。
船橋オートは、森田知事が「税金を投入してまで存続するのは、いかがなものか」と廃止容認の方向を表明したことで、この日を迎えた経緯がある。1年半前に船橋オートの廃止が発表された時、存続のために東奔西走した永井選手は、筆者にこう語っていた。
「森田知事にも面会をお願いしているのですが、なかなか会ってもらえません。(千葉県への)ふるさと納税では喜んでくれたのですが……」
そんな両者の対面がこんなかたちで実現するとは、なんともいえない皮肉な場面であった。とはいえ、廃止に至った要因はさまざまある。森田知事が「苦渋の決断」と語った通り、税金の投入が検討されるほど経営難の状況では、存続もかなうはずがない。
公営競技を愛する1人として、今回の廃止に至るまでの経緯を振り返るとともに、公営競技の今後について考えてみたい。
船橋オートの経営を圧迫した、年間6億円の経費
全盛期の1990年には1年で約744億円の車券を売り上げた船橋オート。しかし、その後の売り上げは年々落ち込み、近年は全盛期の7分の1以下の100億円程度まで減少していた。
これは、競馬も同様だ。オグリキャップなどによる競馬ブームに沸いた90年時、日本中央競馬会(JRA)の売り上げは最高約4兆円に達したが、一昨年度は約2兆5000億円まで落ち込んでおり、競輪や競艇も同じである。
つまり、船橋オートの廃止はオート界だけの問題ではなく、公営競技の構造不況の面が大きいといえる。
また、ほかの競技場がなんとか耐え抜く中、船橋オートには特殊な事情があった。土地は三井不動産、建物はよみうりランドの所有のため、年間6億円もの賃料が発生していたのだ。
三井不動産とよみうりランドは、船橋オートの廃止について「年間6億円の家賃収入を投げ捨て、跡地の有効活用を考えて廃止を誘導した」といわれている。跡地の活用については、「東京オリンピックに向けた施設づくり」「マンションやテナントビル建設」などという声が上がっている。