一方、船橋オートとすれば、年間6億円の支出が経営を圧迫していたわけで、それが選手会の反発を生む要因にもなった。筆者は「なぜ、全盛期に土地と建物を買い取っておかなかったのか」という声をあちこちで聞かされた通り、施行者側に危機感が乏しかったといえる。
命を懸けてレースを行っている選手やレース場の従事者は、結果的に生活の場を奪われ、他場に移籍することになった。また、今回の廃止を機に、数名の選手が引退を余儀なくされた。
施行者が選手とファンの交流イベントなどに積極的に乗り出すようになったのは、ここ数年のことだ。それも、選手側の提案によるものだったという。
船橋オートに所属する数名の選手は、異口同音にこう語っていた。
「施行者は全然協力的じゃないし、役所の船橋オート担当者を見ても、ほとんどが“役所仕事”といった感じでした」
正反対なのが、埼玉県川口市の川口オートレース場である。
昨年12月、新装した有料観覧席「ホールショット」の開場記念式典には、奥ノ木信夫・川口市長や稲川和成・川口市議会議長が訪れ、川口オートの素晴らしさを語るとともに、さらなる発展を願っていた。
奥ノ木市長は父親(県会議員)もオートレースに協力的だったように、川口オートには政治家がバックアップしてきた経緯がある。ホールショットも実に豪華な新装と相成ったが、この「政治家の協力」というのは、公営競技の存続に欠かせない要因である。
2年前の2014年夏。船橋オートの廃止表面化と前後して、隣接する船橋競馬場のナイター開催が発表された。ナイターは、施行者である地元の自治体が認めて、初めて開催が可能となる。
つまり、政治家は「船橋競馬を残して、船橋オートを見捨てた」ともいえるわけだ。「船橋競馬は、政治家との付き合いをやってきた。その点、船橋オートは……」と語る関係者も複数いた。
廃止が明らかになって以降、数名の有志が船橋市議会議員に働きかけて存続を訴えてきたが、本来、これは施行者側がやるべきことである。「施行者=自治体」にやる気がない公営競技場に未来はないだろう。船橋オート廃止の背景について、後編でさらに深掘りしていきたい。
(文=小川隆行/フリー編集者)