今回は、本連載前回記事に引き続いて「デブ」の話題です。“非常識君”は、次のように主張しています。
「そんなにデブが将来生活習慣病を引き起こし、そして多大な医療費を必要とするなら、間違いなくそうなるデブの基準を決めて、それ以上の人には生活習慣病の健康保険医療は適用しないようにすればいい。それが嫌なら痩せればいいのだから」
一方で、“極論君”は「デブでも元気で長生きしている人がいるのだから、細々と個人の生活や食習慣などに介入せずに、自由に生きてもらって、そして病気になった人には手厚い医療を施せばそれでいい」と持論を展開しています。
前回は、人は分類したがるといったお話をしました。そしてその分類が100%正しければ問題はないのですが、そのなかには例外があります。つまり、とんでもないデブでも平均寿命以上に長生きする人がいるなら、デブという理由だけで健康保険医療から排除することは明らかにおかしいと思いますね。
そして、本当にデブが100%健康に悪いのであれば、医療従事者、医師、看護師、パラメディカルにデブはいないはずですが、病院やクリニックで勤務者を観察していると、全員が痩せてはいないですね。メタボリックシンドローム(メタボ)の健診をしている医師や人間ドックの担当医がデブのこともありますね。
肥満を専門としている学会に所属している先生にもデブの人がいます。本当にメタボの基準が100%正しいのであれば、そんな専門医の入会資格に、女性は腹囲が90センチ未満、男性は85センチ未満と定めても整合性があります。呼吸器専門の学会では専門医は禁煙を義務としているところもあります。ということは、医療従事者の間では、「デブはそれほど命の危険と強い相関がない」と思われているのでしょうか。肥満の専門家で肥満の人に聞いてみたいですね。
あるべき保険医療の姿
さて、非常識君が言うように、自分の意思でリスクを減らすことができるのに、あえてそれをしないで、そして予想通りに疾病に罹患したならば医療費の健康保険適用は外すべきだという論調にも、ちょっと違和感を覚えます。冬山に行けば遭難するかもしれないのに、冬山に行く人はいます。そしてまれに遭難しても、みんなで助けに行きます。
スポーツだって危険です。家の中で何もしていない人に比べれば、スポーツで怪我をする患者さんははるかにたくさんいます。当然彼らにも健康保険医療は適用されます。そう考えると、少なくとも日本では医療が必要な人には、それまでに本人がどんな生活をしていたのか、その病気や障害がどんな理由によって起こったのかなどで、健康保険医療の適用を認めないことには相当な違和感があります。
一方で、極論君が言うように、「まったく自由にさせていいか?」ということも大切な論点です。確かに相当なデブでも平均寿命を超えて人生を謳歌している人は少なからず存在します。しかし、多くの人がデブであれば、そしてそのなかの特定のグループが、相当な確率で生活習慣病に複数罹患すると経験的にわかっている以上、そんな情報を正しく知らせることも医療の役割だと思っています。
つまり冬山では遭難することもまれにあるし、健康に良いと始めたスポーツもやり過ぎや偶然で障害などを生じることもあるといった情報です。情報を正しく発信して、そしてその情報を理解して、自分が生きたいように生きて、その過程で生じた病気や障害はみんなで支え合う健康保険医療制度を適用すべきだと思います。
人々をグループ分けすることは、遺伝子配列からも可能です。「こんな遺伝子を持っていれば、他の人に比べて病気になるリスクが高い」といった情報です。生命保険会社がいろいろとグループ分けをする可能性がありますね。自動車でも、車の車種や走行距離、運転者の年齢、ゴールド免許かどうかによって、自動車保険の金額が異なることは今では常識です。
同じことが、医療保険でも起こるということです。デブで、喫煙者で、運動は嫌いで、そしてある遺伝子の有無などで保険料が増加するという作戦です。車では当然のように行われていることですが、これが個人の生命保険に適用されると、なんだか嫌ですね。でも人は自然とグループ分けをしています。そこに例外があることはわかっていても、グループ分けをしたくなるのです。「極論君の気持ちも、非常識君の気持ちも十分に理解できますが、医療は全員に優しいものでありたいですね」と、理想主義者の“常識君”がうまくまとめました。
(文=新見正則/医学博士、医師)