8日、天皇陛下はあくまで「私が個人として、これまでに考えてきたことを話したいと思います」と前置きをなされつつも、以下のように心境を語られ、以前より報じられていた「生前退位」への強いご意向をお示しになられたとも受け取れる発言をなされた。
「従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました」
「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」
「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます」
今回の「お気持ち」表明をどのように解釈すればよいのか。麗澤大学教授で憲法や法哲学が専門の八木秀次氏は、次のように解説する。
「天皇の終身在位制の否定であり、終身在位制は象徴としての天皇のあり方と矛盾しているとのお考えを表明したものです。象徴としての務めは『全身全霊をもって…果たしていくこと』が必要とおっしゃり、それは天皇の位にある者にしかできないことから、退位を求められました。そのため、憲法で定められた、天皇の行為を代行する『摂政』を置く考えを否定されましたが、摂政は憲法や皇室典範に規定があるものであり、制度の否定にもなります。また、喪儀の儀礼などについては具体的に制度の改変を求められており、踏み込み過ぎの印象を受けます」
今回クローズアップされている生前退位だが、なぜ憲法では認められていないのだろうか。
「近代の皇室は『生前退位を想定していない』というレベルではなく、積極的に排除してきた歴史があります。その理由は以下の3つです。
(1)歴史上、法皇や上皇が影響力を持ってしまった弊害の発生を繰り返さない
(2)外部の力により退位を迫られる恐れを排除する
(3)天皇の自由意志によって退位が可能になると、皇室制度の安定性が損なわれる
生前の退位を認めない終身在位制を取る代わりに、憲法は天皇に心身の重患や重大な事故があるときに国事行為の代行をする者として摂政を置くことを規定しています。また、天皇が病気療養や外国訪問時における国事行為の臨時代行の制度もあります。退位を認めなくとも『摂政や臨時代行で十分対応できる』としてきた従来の政府見解との整合性をクリアしなくてはなりません」(同)
生前退位への高いハードル
やはり、生前退位は現実的には難しいのだろうか。