任侠山口組(先日、任俠団体山口組から改名)発足以前から、織田絆誠代表の腹心と言われてきた人物がいる。山健連合会の金澤成樹会長だ。
2年前の六代目山口組分裂後、神戸山口組系傘下となった金澤会長率いる三代目竹内組は、本拠地とする長野県内で六代目山口組系三代目弘道会の中枢組織と激しくぶつかりあった。それを危惧した弘道会側は、援軍を他府県から車で派遣。だが、その際に、高速道路のインターチェンジ降り口付近で竹内組幹部らが車で待ち伏せ、4時間にもわたり、車両を通行止めさせるなどして、弘道会側援軍を長野県内に進入させなかったのだ。この事件によって竹内組幹部らは逮捕されたが、一躍その勇猛さを世間に知らしめたのである。
そして、今春の任侠山口組発足後、金澤会長は、新団体・山健連合会の会長に就任。副組長を務めていた宮下聡組長に竹内組組長の座を譲り、四代目体制となった同組は、任侠山口組直系組織でありながら、山健連合会に加盟することとなったのだ。
その四代目竹内組に激震が走ったのは、7月31日のこと。四代目竹内組系二代目堀田組の組員が、同組内の組員らから暴行を受けて死亡するという事件が起きてしまったのだ。
この事件に関わった組員らには、破門処分が下されたといわれているのだが、昔から内輪揉めを固く禁じているのがヤクザの世界。それゆえ、処分は当事者だけではすまなかった。任侠山口組は、管理責任がある二代目堀田組組長や四代目竹内組組長のみならず、その上部団体とある山健連合会の金澤会長にも、無期限の謹慎処分を下したのだ。
「謹慎といっても、事務所で謹慎する場合もあれば、自宅の場合もあり、内容は組織によってさまざま」(業界関係者)。著者の見知る限りでも、謹慎処分について各組織で共通するのは、謹慎している場所からの外出が禁じられるということくらいだ。
「金澤会長の場合は、竹内組本部で謹慎に入っていた。ただその謹慎中は、自らを戒めるかのように、真夏なのにクーラーなどもかけずに一切の涼を断ち、無音の中で、刑務所での懲罰のような日々を送っていたようだ」(地元関係者)
以前から、山健組(織田代表や金澤代表がかつて属していた組織)の謹慎処分は、他の組織とは比べものにならないほど厳しいといわれていたが、金澤会長の場合もまた、自らに厳しい罰則を与えたという訳だ。
織田代表は身贔屓を許さなかった
ただ、任俠山口組は、金澤会長の処分を8月15日に解いている。無期限謹慎が短期間で明けたことについて、別の関係者はこのように話している。
「金澤会長の、日頃の姿勢が評価されたといえるのではないか。金澤会長は、織田代表の生え抜きの若い衆だった人だ。それだけに、ヤクザというものに対する姿勢や考えは、織田代表のそれと同様、周囲も一目置くほどのものがある。そのため、山健連合会に所属する組長らから、池田本部長(任侠団体山口本部長、四代目真鍋組組長)に上申があり、それを受けて池田本部長が織田代表に謹慎を解いてくれるように願い出たという話だ」
ただし、織田代表はその申し出を一度は却下していたという。
「任侠山口組は発足記者会見の際、神戸山口組組長が自らの出身母体を贔屓してきたことを強く批判した。金澤会長といえば、織田代表の腹心中の腹心。つまり、金澤会長への甘い対応は、身贔屓と取られかねない。自分に近い存在だからこそ厳しく戒めることで、任侠山口組が目指す組織のあり方を内部に示した可能性が高い」(ヤクザ事情に詳しいジャーナリスト)
その織田代表の胸中を知っているからこそ、あえて金澤会長も自らを厳しく律したのではないだろうか。任侠山口組の中枢組織で起こった暴行事件とそれに対する厳しい処分は内紛の要因になりかねないと案じられたが、織田代表と金澤会長が見せつけた姿勢によって、それは杞憂に終わったわけだ。
(文=沖田臥竜/作家)