そんな世論に対し、渡邉氏は不満を持っている。「ワタミ社員の年収は飲食業界の平均年収を上回っており、印象で語らないでほしい」と発言している。とはいえ、女性従業員の過労自殺などの問題が起こっているのも事実で、こうした発言こそ、ブラック企業といわれる経営者に共通する感覚だと思う。
飲食店でブラック企業といわれる経営者たちの大半が、苦しい下積み時代を経験している。例えば、アルバイトからスタートし、店長を経て、創業する。自身に厳しいノルマを課し、成功をつかみ取っている。
この一見美しいストーリーが、一般社員との齟齬が生まれる原因となることが多い。
創業者は、働けば働いただけ、自分の利益となる。販売管理費200万円の店で、300万円の売上が出れば、100万円の利益を手にできる。一方で、一般社員は、100万円の純利益を出しても、ボーナスとして返ってくるとは限らない。というよりも、ワタミの純利益から店長の年収を見ても、還元されていないのは明白だ。
●「ビルから飛び降りろ」に違和感を覚えない創業メンバー
もちろん、経営側にはリスクがあるという言い分があるはず。創業者はハイリスクハイリターンであり、一般社員はローリスクローリターンという具合に。
つまり逆説的に言えば、一般社員はローリスクローリターンであるべきなのだが、ブラック企業経営者は、そんな一般社員にも自分と同じ、ハイリスクな感覚を求めてしまう。渡邉氏の言葉を見ても、おそらく自身がそれを体現してきたのだと思う。そんな渡邉氏を見て、多くのスタッフがついてきたからこそ、会社は大きくなった。創業メンバーからすれば「無理と言うから無理になる」「ビルから飛び降りろ」というのも、彼ら自身がそれくらいの気持ちで仕事をしてきたからこそ、違和感を覚えないのだろう。
だが、会社が大きくなれば、彼らのように仕事が人生ではなく、人生の中に仕事があるという社員だって生まれる。というよりも、それがローリスクローリターンの働き方だと思う。さらに社内には、組織が大きくなると優秀社員、標準社員、不良社員の比率が2:6:2となる、いわゆる「2-6-2の法則」も生まれる。
にもかかわらず、全従業員に創業メンバー同様のハードワークを求めるから、ブラック企業と呼ばれるというのを理解すべきだ。労働時間だけでいえば、9〜17時で帰宅できる一般企業はマイノリティであり、必ずしも残業代が付くわけでもない。しかし、経営陣から直接的な叱責を受けるのは稀有であり、多くは互いに互いの役割を理解した上での会話が成立している。自然と社内で2-6-2のバランスが出来上がっている。仕事がデキる社員、普通の社員、デキない社員が共存するのが、自然の条理である。
小説家・村上春樹氏の『約束された場所で』(文藝春秋)の中で、元文化庁長官の河合隼雄氏が、「(今の日本は)生活保護なんてけしからん。そんなところに払う金があるんだったらもっと日本の経済のために使えとか、そういう人間は落ちていったらいいとか言いますが、社会が成熟してきた今だからこそ、ケアをする義務がある」と出来上がった民主主義の問題点を指摘しているが、そんな日本社会の縮図とブラック企業が重なって見えるのは、筆者だけだろうか。
(文=Japan Journal編集部@FBRJ_JP)