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中村芳平「よくわかる外食戦争」

危機マック、創業者は天文学的利益獲得 繁栄と没落を招いた常識逸脱の規格外経営

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 そんな藤田氏が、藤田商店のシカゴ店長の薦めで米マクドナルド創業者のレイ・クロック氏(1902~84)に会うのは70年頃のことだ。ハンバーガービジネスで大成功したクロック氏の元には、マクドナルドのFCをやりたいと多くの日本人が訪れた。その中にはダイエー創業者の中内功氏【編註:正式表記は「エ」へんに「刀」)もいたが、クロック氏の眼鏡にかなう人物はいなかった。
 
 藤田氏はクロック氏と初めて会い交渉した時の模様を、雑誌「経済界」(01年11月6日号)のインタビューで次のように答えている。

 クロック氏は「私がこれまで会ってきた日本人は商売を知らないからダメだ。けれどもお前ならできる」と、藤田氏に日本でマクドナルドのFCをやるように頼んだという。その時藤田氏はとっさに「それだったら出資比率は50%対50%の合弁でやりたい」といい、条件を1つ付け加えた。

「米国側は命令しないこと。アドバイスは受けるが命令は受けない。そして、日本の会社は私以下、全員日本人でやっていく。社長の私の思い通りにやる。それが嫌なら私はやらない」

 藤田氏の要求はめちゃくちゃなものだった。本来は米マクドナルド本社の日本FCにしかすぎない立場なのに、日本マクドナルドは米本社と折半の合弁企業とし、経営権も藤田氏が握るという主張だからだ。普通なら交渉は決裂、日本マクドナルドの設立はご破算になっていたところだ。

 ところがクロック氏は藤田氏の破格の条件を却下するどころか、受け入れた。「お前はなかなか面白い奴だ。わかった」と――。クロック氏が日本の市場を見間違っていたのか、こう言ったという。

「今から30年の契約をするが、30年で500店つくると約束してほしい。30年後に500店できていたら、成功とみなす」

 藤田氏は「500店と言わず700店にしよう」と言って、それで契約の話が決まったという。その間、ものの20分程度しかかからなかったという。

●信頼の源泉は、ボロボロに汚れた一通の預金通帳

 藤田氏はこの時、日本マクドナルドの日本でのFC展開は最初から30年契約だったと言うが、マクドナルド研究の第一人者で関西国際大学教授の王利彰氏は、「クロック氏との本来の契約期間は20年だった。藤田氏は2代目CEOのフレッド・ターナー氏(故人)に頼んで、もう10年延長してもらい、30年契約にした」と説明する。王氏は73年に日本マクドナルドに入社。店舗勤務後、スーパーバイザー、ハンバーガー大学プロフェッサー、米国駐在統括責任者などを経て本社で運営統括部長・海外運営部長・機器開発部長を兼任し、事業開発担当部長、機器開発部長を歴任した。日本マクドナルドに19年間勤め、藤田氏と衝突し92年に退社した。同年コンサルタント会社を設立し、現在に至っている。

 王氏はターナー氏とも仕事上で交流があった。当初の契約が20年だったのを10年延長してもらったというのは、王氏の言う通りだと思う。藤田氏は、一筋縄ではゆかない人だったからだ。

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