
近年、製薬会社による研究不正が伝えられることが多いが、医療界でよく知られるものに「ディオバン事件」がある。これは、ノバルティスファーマが開発した高血圧治療薬「ディオバン」をめぐって研究結果の改ざんや不明瞭な資金提供が行われていたもので、2014年6月にノバ社の元社員が逮捕されている。
この事件について、研究論文が発表された当時から疑義を呈してきたのが、医師で臨床研究適正評価教育機構理事長の桑島巌氏だ。今年9月に『赤い罠 ディオバン臨床研究不正事件』(日本医事新報社)を上梓した桑島氏に、ディオバン事件および日本の臨床研究の現状について聞いた。
――なぜ、高血圧治療薬で研究不正が起きたのでしょうか?
桑島巌氏(以下、桑島) 事件の説明の前に、高血圧治療について簡単に説明します。高血圧の基準は時代とともに変わってきましたが、血圧が高いと血管が傷つき脳卒中や心筋梗塞などが起こりやすくなることがわかっています。現在の日本のガイドライン(治療指針)では「140mmHg未満(若年、中高年)を目指す」とありますが、15年にアメリカで行われた大規模臨床試験では「120mmHg未満を推奨する」という結果が出ています。近い将来、日本のガイドラインも高血圧の基準が変わると思います。
高血圧治療は生活習慣の改善が第一ですが、薬による治療も重要です。血圧を下げる方法は大きく2つあり、ひとつは血流を減らすこと、もうひとつは血管を広げることです。高血圧患者は国内だけでも3000万~4000万人といわれており、薬剤の売り上げランキングでは降圧剤が上位を占めています。
ディオバンは、ノバ社が開発した「ARB」と呼ばれる血管を広げるタイプの降圧剤で、日本では00年11月に販売が開始されました。ARBとしては国内で3番目となり、激しい販売競争が繰り広げられ、各社はこぞってプロモーションに力を入れました。その過程で起きたのが、大学医学部を舞台にした臨床研究不正です。
ノバ社、大学に2億円超の「寄付金」提供
――では、ディオバン事件の概要を教えてください。
桑島 薬剤のプロモーションは処方権のある医師が対象になるため、その薬剤を使った臨床試験の結果が重要になります。ディオバン関連では、00年代にノバ社の元社員が関わった5つの大規模臨床試験(JHS<東京慈恵会医科大学>、VART<千葉大学>、SMART<滋賀医科大学>、KHS<京都府立医科大学>、NHS<名古屋大学>)があり、「ディオバンが既存の降圧剤より脳卒中や狭心症を減少させる効果がある」などの結果が出されました。
しかし、そのほとんどの論文が撤回されるという前代未聞の事態になっています。ノバ社だけでなく、武田薬品工業のARB降圧剤「ブロプレス」に関する臨床試験「CASE-J」でも、厚生労働省が広告について業務改善命令を出すなど、問題が多く指摘されています。
前述した5つの臨床試験のうちのKHSをめぐってノバ社の元社員が薬事法違反で逮捕され、現在は元社員と法人としてのノバ社を被告とした裁判が進行中です。来年3月には判決が出る予定です。
『赤い罠 ディオバン臨床研究不正事件』 ついに司法の手に委ねられた前代未聞の研究不正事件――論文発表当初から疑義を抱き、問題点を指摘し続けてきた医師が真実を闇に葬り去ろうとするあらゆる勢力に抗して、事件の真相に迫る。
