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山田修「間違いだらけのビジネス戦略」「2016経営者残念大賞」第2位:益子修氏

隠蔽事件で死者まで出した三菱自は、結局この10年間「何も変わっていなかった」

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 組織の意識改革が難しいとしたら、「仕組み」をつくるアプローチがあった。内部監査の仕組み、内部告発とそれを受ける有効な仕組み、あるいは厳罰を伴う懲罰制度(不正報告に対する)などである。そして、実際に誰かを厳罰に付して一罰百戒を示すべきだったのだ。益子氏はそんなことを何かやったのか。

 益子氏はしょせん、三菱商事から三菱自へ移ってきた「三菱村」の同族だった、と私は見ている。悪く言えば「同じ穴の狢」、よく言ってもなあなあで荒事までは踏み込めなかった。

「2度目」の不祥事を起こさせた責任がある


 益子氏は05年に社長に就任以来、順調に同社の業績を回復させ、13年度は過去最高益と16年ぶりの復配を果たし、再建にメドをつけた。14年度も最高益を更新しており、同年6月には三菱自生え抜きの相川哲郎氏を社長に就任させるに至った(益子氏は会長兼CEOに就任)。

 益子氏は相川氏を要職で重用してきた。自らが社長に着任した05年には、相川氏を常務として抜擢。以来、商品開発統括部門や生産統括部門長兼生産管理本部長などを歴任させている。

 東京大学工学部出身で技術に明るい相川氏を重用した益子氏には、重大な責任懈怠があると私は見ている。益子氏は三菱自の財務諸表―数字―には注意を払い、改善させたが、技術や品質のことは相川氏に丸投げした、という構図に私には見える。

 ところが、重大なリコール隠しがあった三菱自でもっとも再生経営者が成すべきことは、生産部門や開発部門の改革であり、品質の保持だった。それらの改善による消費者・社会・政府からの信頼の再確立だったはずだ。

 益子氏はそこに自らの手を入れようとしなかった、汚そうとしなかった。あるいは相川氏が、「三菱グループの天皇」といわれた三菱重工業元会長の相川賢太郎氏の子息だということで、遠慮のようなものもなかったか。

 16年に燃費データ偽装が同社で発覚し、相川社長は6月に引責辞任するに至った。これを「2度目」の不祥事としよう。

無為無策で名門企業を外敵に明け渡した


 そして「3度目」の不祥事というのはもちろん、今秋に発覚した、三菱自が不正を継続していたことの発覚だ。16年4月に燃費不正問題が発覚したあとも、都合のよいデータだけを抜き出す不正な方法で車の燃費を測定し、販売を続けていたのである。国土交通省が立ち入り検査して発表したことについて、同社は「不正な方法だとは認識していなかった」と説明したが、厚顔無恥も極まる。

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