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セブン&アイ、「鈴木敏文派」幹部や次男が退任で鈴木色一掃…創業家御曹司へのパワーシフト

文=編集部
セブン&アイ、「鈴木敏文派」幹部や次男が退任で鈴木色一掃…創業家御曹司へのパワーシフトの画像1セブン&アイHD・井阪隆一社長(ロイター/アフロ)

 セブン&アイ・ホールディングス(HD)は、創業家回帰を進めている。2016年5月、25年にわたってグループの経営を率いてきた鈴木敏文氏が会長を退き、コンビニエンスストア事業子会社のセブン-イレブン・ジャパン社長だった井阪隆一氏が社長に就任した。このトップ交代は「セブンの乱」と呼ばれたが、陰で創業者の伊藤雅俊氏の意向が働いたとの声が多い。

 この「セブンの乱」の勝者と敗者で、はっきりと明暗が分かれた。

 セブン&アイHDは4月6日、17年2月期決算を発表したが、この会見では創業家出身の伊藤順朗取締役常務執行役員が井阪隆一社長の隣に座った。“セブン&アイHDの顔”の交代を映し出す光景だった。

 伊藤氏は、セブン&アイHD名誉会長でイトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊氏の次男。1982年に学習院大学経済学部経営学科を卒業し、三井信託銀行(現・三井住友信託銀行)に入行。退社後、米クレアモント大学経営大学院に留学、MBA(経営学修士)を取得。ノードストローム社を経て、90年にセブン-イレブン・ジャパンに入社。2002年に取締役、07年に常務執行役員マーケティング部長に就任。09年5月から持ち株会社であるセブン&アイHDに転籍し、取締役執行役員事業推進部シニアオフィサーに就き、14年4月から取締役執行役員CSR(企業の社会的責任)統括部シニアオフィサーを務めていた。

「セブンの乱」後、伊藤氏は経営中枢に入った。16年12月に取締役執行役員から取締役常務執行役員へ昇格して経営推進室長に就き、17年3月には事業子会社イトーヨーカ堂の取締役を兼務した。そして4月6日の決算会見でメディアの前にデビューしたのである。

鈴木敏文氏次男の康弘氏はITコンサルタント会社を設立

 一方、16年12月、伊藤氏が常務執行役員に昇格するのと入れ替わるように、鈴木敏文氏の次男、鈴木康弘氏がセブン&アイHDの取締役を退いた。

 日本最大の流通企業であるセブン&アイHDには、「2人の創業者」がいると評されてきた。総合スーパーを創り上げた伊藤雅俊氏と、日本のコンビニの生みの親である鈴木敏文氏だ。

 だが、「両雄並び立たず」の言葉通りとなった。“サラリーマン経営者”の敏文氏は、次男の康弘氏を取締役に引き上げ、ネット戦略を任せた。「康弘氏を自分の後継者に据えようとしている」と社内外は騒然となった。

 敏文氏は16年4月、セブン-イレブン社長だった井阪氏の解任を求めたが、これが取締役会で否決され、逆に敏文氏は退任へと追い込まれた。その後任には井阪氏が就いた。政変により康弘氏の居場所がなくなった。

 康弘氏は1987年、武蔵工業大学(現・東京都市大学)工学部電気工学科卒。富士通のシステムエンジニアを経てソフトバンクに転職。1999年、ソフトバンクがヤフーやトーハン、セブン-イレブン・ジャパンと設立したネット通販会社イー・ショッピング・ブックスの社長に就任した。同社が06年にセブン&アイHD傘下に入ると、システム基盤の整備などを担当するようになった。

 14年12月にCIO(最高情報責任者)に就き、15年5月には取締役に昇格と、グループ内で異例の大出世を遂げる。「ネットを制するものがリアルを制する」という敏文会長の大号令のもと、康弘氏はネットとリアル店舗の融合を図る「オムニチャネル戦略」の責任者として関連部門を率いてきた。

 康弘氏を大抜擢したことで、敏文氏は康弘氏を自分の後継者に据えようとしているとの憶測が広がった。これに伊藤家側が激怒し、「セブンの乱」の一因になったとされる。敏文氏の失脚に康弘氏は連座した。

 セブン&アイHDを去った康弘氏は17年3月、IT(情報技術)コンサルティング会社デジタルシフトウェーブを設立した。資本金は999万円で、康弘氏が全額出資した。17年内に10人体制にする予定だという。

 オムニチャネル戦略を担当した経験を生かして、IT関連のコンサルティングやシステム導入支援を手掛ける。敏文氏の傘の下から離れて、独り立ちできるかが問われることになる。

元セブン&アイ・フードシステムズ社長は投資ファンドに転身

 セブン&アイHDは、脱「鈴木敏文体制」を進めている。3月1日付でファミリーレストラン「デニーズ」を運営するセブン&アイ・フードシステムズ社長の大久保恒夫氏が退任した。大久保氏は、イトーヨーカ堂時代に敏文氏直属の部下として業務改革に携わった。

 大久保氏は1979年3月に早稲田大学法学部を卒業し、イトーヨーカ堂に入社。茅ヶ崎店でダイニング家庭用品売場を担当した後、本部の経営政策室経営開発部に異動。この時の上司が敏文氏だった。

 89年、イトーヨーカ堂を退社。プライスウォーターハウスコンサルティング社でコンサルタントをやり、流通経済研究所の研究員などを務めた。90年、流通業のコンサルタント会社、リテイルサイエンスを設立して社長に就任。ユニクロを展開するファーストリテイリング、良品計画などの経営改革を行う。

 コンサルタント業にとどまらず、自ら経営もした。2003年、ドラッグストアのドラッグイレブンの社長に就任し、経営危機にあった同社を再生させた。07年には高級スーパー・成城石井の社長に就き、業績を飛躍的に向上させた。

 敏文氏は大久保氏の手腕を見込んで、低迷するファミリーレストラン「デニーズ」の再生を托した。大久保氏は11年、セブン&アイ・フードシステムズの社長とセブン&アイHDの取締役(13年から常務執行役員)に就いた。

 脱「鈴木敏文体制」を進める井阪隆一社長は、敏文氏の人脈である大久保氏をパージ(粛清)した。

 セブン&アイHDを追われた大久保氏は4月、投資ファンド・インテグラルの顧問に就いた。インテグラルはスカイマークの再生に名乗りを上げ、知名度は全国区になった。

 15年に民事再生法を申請した中堅航空会社スカイマークは、インテグラルや全日本空輸を傘下にもつANAホールディングスなどから180億円の出資を受け再生を図る。インテグラルは50.1%を出資、インテグラル代表の佐山展生氏がスカイマークの会長に就いた。

 16年以降は、かつら大手アデランスの自社買収(MBO)やアパレル大手イトキンの再建を資金面で支援した。

 インテグラルは過去に2回、総額550億円のファンドを組成した。4月に総額730億円の3回目のファンドを組成し、3件程度に投資する。流通業に通じている大久保氏を顧問に迎え、投資先の選定に当たることになったとされている。
(文=編集部)

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