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小笠原泰『日本は大丈夫か』

相次ぐ企業の不正でも事故は起きていない…日本企業にコンプライアンスは馴染まないのか

文=小笠原泰/明治大学国際日本学部教授
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 要求仕様も過剰品質というべきかもしれない。神戸製鋼所のケースでは、納入先企業であるJRや自動車メーカーも早々に品質に問題はないと発表している。実際、今回のケースはタカタとは異なり、事故などの品質に由来する問題を起こしていない。自動車は個人顧客対象なので話は少し異なるが、証明ができないとはいえ、今回の長期間の無資格検査に起因する問題が起こったとはいわれていない。

 この現場での品質追求最優先の姿勢は、明らかに日本的組織の強みである。日産自動車も神戸製鋼所も優れた品質管理を表彰するデミング賞を受賞している。

 現場は長いこと、世界から賞賛を浴びた、正しいと信じるカイゼンを日常のなかで行ってきている。ゆえに日産自動車の工場で無資格検査の問題が指摘された後も、無資格検査を続けていた工場があったというのも、現場のこのような意識の表れであろう。変わったのは環境であり、環境とはコンプライアンスである。これまで問題ではなかったこと、つまり品質を最優先に置き、そのために効率化も含めてカイゼンを通してプロセス(手続き)を変化させていく行為が、コンプライアンスに抵触するようになったということである。

日本的組織にとってのコンプライアンス

 コンプライアンスとは、踏むべき固定的なプロセスのことであり、プロセスを改善して変更していく日本的組織の品質管理の核となるカイゼンとは、相反するといえる。つまり、プロセスを変えていくカイゼンは、コンプライアンスと相性が悪いのである。現場としては、世の中が変わり、強みが突如否定され、弱みになったともいえよう。

 そもそも30年や40年前に日本にコンプライアンスの認識などなかった。確かに、企業活動が法令に則って行われなくてはならないのは当たり前のことではある。しかし、日本でコンプライアンスが今日のように重要視されるようになったのは、小泉内閣の下で規制緩和が行われた2000年代以降のことであり、その歴史は意外に短い。経済活動がグローバル化するなかで、コンプライアンスが世界中で重視されてきているのは事実である。

 では日本社会におけるコンプライアンスに対する認識はどのようなものであろうか。かつてJRが国鉄であったころ、公務員である国鉄の職員には争議権が認められていなかったので、労働組合は順法闘争という闘争戦術を編み出した。順法闘争とは、規則などを完全に励行することによって、合法的にストライキと同様の効果が期待できる闘争戦術のことである。

 考えれば、規則を厳密に励行すると運行に支障をきたすというのは、奇妙な話である。現実の支障のない運行は、コンプライアンスを遵守していないということである。こうした認識は、内部統制も含めて、現在の日本的組織では変わっていないのではないか。今回の品質管理問題は、現場主義の限界と言うが、現場だけではなく、日本的組織そのものの問題といえるであろう。

 企業活動のグローバル化がいっそう進むなか、コンプライアンスの重視は企業として避けては通れないが、厳しいコンプライアンスは日本的組織において現場でのプロセスのカイゼンにブレーキをかけることも事実である。ひいては、日本的組織にとってコンプライアンスは、組織スピードの低下をもたらすという認識も必要である。
(文=小笠原泰/明治大学国際日本学部教授)

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