NEW

新日鐵の社長に“なれなかった”男が死去…日本経済を支えた「勝俣5兄弟」

【この記事のキーワード】

, , ,

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
新日本製鐵本社が入居していた「丸の内パークビルディング」(「Wikipedia」より)

 勝俣孝雄氏(かつまた・たかお=九州石油<現JXTGエネルギー>社長、新日本製鐵<現日本製鉄>副社長)が3月11日、急性腎不全のため89歳で死去した。告別式は近親者で行った。喪主は長男の敬寛氏。

「勝俣5兄弟」は経済・産業界で名前が通っている。長男が孝雄氏で、次男・邦道氏は日本道路公団元理事、3男・鎮夫氏は東京大学名誉教授、4男・恒久氏は東京電力元社長、5男・宣夫氏は丸紅元社長。

 父親の勝俣久作氏は神奈川県箱根町の出身。旧制麻布中学校の国語教師を務め、教え子に作家の吉行淳之介氏や北杜夫氏がいる。戦後、代々木ゼミナールの創設者の1人として副校長兼古文教師となる。1968年に死去した。

 孝雄氏は53年に東京大学法学部を卒業して八幡製鐵に入社。秘書の仕事を21年間やり通した。70年、八幡製鐵と富士製鐵が合併して新日本製鐵が誕生。「世紀の大合併」といわれた。この時、孝雄氏は八幡製鐵の稲山嘉寛社長の下で秘書課長だった。

 合併後、旧八幡と旧富士による主導権争いの内紛が勃発。八幡と富士が社長を交互に出すルールが敷かれた。

 このたすき掛け人事で、旧八幡のエースの呼び声が高かった孝雄氏は、新日鐵の社長にはなれなかった。93年、旧八幡出身の斎藤裕社長の後任の社長の椅子には、ルールに従い旧富士出身の今井敬氏が座った。孝雄氏は2年後、九州石油の社長に転じた。旧八幡出身の副社長の天下りポストである。のちに今井敬氏は経団連の会長にも就いたが、「特筆するような実績は残していない」(ベテランの財界担当記者)と評されている。

 4男の恒久氏は東京大学経済学部卒、2002年東京電力社長に就任。「カミソリ」の異名をとった。11年、福島第一原子力発電所のメルトダウン事故当時の会長。原発事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で強制起訴された。判決は今年9月19日に下される。

 5男の宣夫氏は慶應義塾大学経済学部卒、03年に丸紅社長に就任。13年に相談役に退いた。

 ちなみに、新日鐵で孝雄氏ら旧八幡勢と激しく対立したのが、旧富士出身で新日鐵初代会長の永野重雄氏だ。「財界四天王」のひとりで、新日鐵の“ゴッドファーザー”と呼ばれた。

 その永野家の「6兄弟」も、また有名だ。長男は運輸大臣の護氏、次男が重雄氏、3男は若くして病没、4男の俊雄氏は五洋建設会長、5男の伍堂輝雄氏は日本航空会長、6男の鎮雄氏は参議院議員。7男の治氏は石川島播磨重工業副社長だった。
(文=編集部)

新日鐵の社長に“なれなかった”男が死去…日本経済を支えた「勝俣5兄弟」のページです。ビジネスジャーナルは、企業・業界、, , , の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!

Ranking
  • 企業・業界
  • ビジネス
  • 総合
BJ おすすめ記事