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野田市女児虐待死事件の母親と、私の父から20年間DVを受けた母の共通点

文=林美保子/フリーライター
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野田市女児虐待死事件の母親と、私の父から20年間DVを受けた母の共通点の画像1千葉・野田の女児死亡 虐待を訴えた心愛さんの自筆アンケート(写真:毎日新聞社/アフロ)

 野田市の小4女児虐待死事件で母親が逮捕されたことに関して、DV被害者を支援するNPO法人「全国女性シェルターネット」が2月13日、DV虐待事案として対応を求める声明を出した。そのなかの「少女の母親は、まず、保護されるべきDV被害当事者であり、決して逮捕されるべき容疑者などではない」という文言に対し、賛否両論の声が上がり、ネットを賑わせていた。

 否定的意見を一部拾うと、次の通りだ。

「普通の人だったらまったく気持ちはわからないし、両親ともに同罪だと思う」
「母親を擁護する声があるが、全然理解できない」
「DV被害者を守る活動は立派です。じゃあ、この母親が心愛ちゃんにしたことはDVではないの?」

 このような手厳しい意見を言う人は、幸いなことにDVや虐待とは無縁の人生を送ってきたのだろう。「まともな母親だったら、何があっても子どもを守るものだ」という健全な固定観念が根底にある。

 しかし、繰り返されるDVがまともな感情も判断力も奪っていくことを、私は長年自分の母親を見て思い知らされている。

DVによる後遺症で人格障害になった母

 私は父の母に対するDVが常態化した家庭で育った。子どもに害はおよばなかったものの、お酒を飲むと怪物になる父が怖くて、その般若のような顔や怒鳴り声に、寒くもないのに歯がガチガチ鳴り、体の震えが止まらなかった。私はいつも父の顔色を窺い、逆らうようなことは一切しなかった。一言でも逆らったら、今度は怒りの矛先が自分に向くのではないかという恐怖感があったからだ。

 小2のとき、同じ学校の男児が父親に殺される事件が起きた。ノイローゼを患っていた父親が母親の発した言葉に腹を立て、台所から包丁を持ち出して母親を刺殺、「やめて!」と母親をかばった息子も刺したという。

 この新聞記事を読んだとき、私は猛烈な罪悪感に襲われた。

「わが身可愛さで母親を助けようとしない自分は、身勝手な娘ではないのか」

 私はそれまで、父から母をかばったことが一度もなかった。ただただ怖くて、震えていることしかできなかった。それでいながら、「いつか父も包丁を持ち出すのではないか」という恐怖にも苛まれ、相反する思いがせめぎあい、混乱した。

 平成16年の児童虐待防止法改正により、子どもの目前で配偶者に対する暴力が行われることが心理的虐待にあたることが明確化されたように、子どもの頃の私は深く傷ついていた。

 私が高1のとき、母は突然家を出た。兄の大学受験の2週間前のことで、兄は受験に失敗したこともあり、母を許そうとしなかった。まともに考えれば、何も息子の大学受験直前に決行する必要はないのに、母は20年間のDV生活により判断力を失っていた。

野田市女児虐待死事件の母親と、私の父から20年間DVを受けた母の共通点の画像2栗原なぎさ被告の初公判傍聴の整理券をもらうため、行列に並ぶ人々

 その後は父のDVから逃れたはずなのに、母の後遺症は年を追うごとに深刻になっていった。8割方満たされている状態にいるときでさえ、満たされない2割の部分しか見えないような精神状態と言ったらいいのだろうか。被害妄想がひどくなり、身近な人間は、特に手を差し伸べた人間ほど皆悪者にされた。しかも、自分の意見を言えない生活が身についてしまったせいか、本人の前では素振りも見せず、第三者にはけなげに生きるヒロインを演じながら、自分の苦境を訴えた。

 うつ病を患い、やがて人格障害の診断も受けた。DVに支配されて過ごした20年間の爪痕は大きく、母の人格はゆがんでしまったのだった。

不都合な現実に向き合う強さを

 5月16日、野田市の小4女児虐待死事件で、傷害幇助の罪に問われている母・栗原なぎさ容疑者の初公判が開かれた。検察側は、「勇一郎被告に家庭を支配されていたことを考慮しても母親としての責任を放棄し、勇一郎被告の虐待を見過ごしたことは許されることではなく、刑事責任は重大である」として懲役2年を求刑した。それに対して、弁護士側は起訴内容を認めながらも、執行猶予を求めている。

 思ったよりも軽い求刑だったのは、論点が女児を死に至らしめたことではなく傷害の幇助であることや、「暴力で支配されている状況下」ということが考慮されたからだろう。

 公判では、LINEで逐次心愛ちゃんの行動を勇一郎被告に告げ口して虐待を助長させたことや、「夫が好きだった。離婚後、自分から連絡をとった」などの新証言もあり、一般の人々のなぎさ容疑者への批判は強まったように感じる。

 私自身、DV被害者の実態は理解しているつもりだが、だからといって、「母親は保護されるべきDV被害者であり、逮捕されるべき容疑者ではない」という全国女性シェルターネットの意見には賛成しかねる。「保護されるべきDV被害者」であったのは、娘が死亡する前までの話だ。娘が虐待死したという事実に対し、まったく罪がないとするのはちょっと違うと思う。

 公判では、400人以上の傍聴希望者が押し寄せたために、私は残念ながら抽選に外れて傍聴できなかったが、なぎさ被告は終始うつむいて一度も顔を上げることはなく、声もかぼそかったそうだ。そして、「心愛ちゃんに伝えたいことはありますか」との裁判官の問いにも答えなかったという。おそらく、裁判が行われ、周囲では物事が進んでいても、本人の心がついていっていないのではないだろうか。

 私の母は自分に不都合な事実を認めたくないために、自分に都合のいい解釈をして、ときには脚色まで行い、人の同情を買おうとした。それらはすべて、弱い自分を守るためであった。

 なぎさ容疑者に感じるのも、心の弱さだ。不都合な現実と向き合うには強さと勇気が要る。彼女が現実と向き合えるようになるには、まだ時間はかかるのかもしれないが、勇一郎被告と離れたことで、少しは冷静さを取り戻すかもしれない。そして、自分の行ってきたことのどこが間違っていたのかを理解する強さを身につけてほしい。

 6月26日、判決が言い渡される。
(文=林美保子/フリーライター)

林美保子/ノンフィクションライター

林美保子/ノンフィクションライター

1955年北海道出身、青山学院大学法学部卒。会社員、編集プロダクション勤務等を経て、執筆活動を開始。主に高齢者・貧困・DVなど社会問題をテーマに取り組む。著書に『ルポ 難民化する老人たち』(イースト・プレス)、『ルポ 不機嫌な老人たち』(同)、『DV後遺症に苦しむ母と子どもたち』(さくら舎)。

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