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私が、母親が苦しむ延命治療ではなく、「看取り介護」による安らかな死を選んだ理由

文=林美保子/フリーライター
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私が、母親が苦しむ延命治療ではなく、「看取り介護」による安らかな死を選んだ理由の画像1「Gettyimages」より

 母が特別養護老人ホームに入所して1年経った頃、医師に呼ばれた。

「これからは、看取り介護になります」

 肺がんを患う88歳の母の死期が迫っているという宣告だった。

「食欲が極度に落ちています。食事を受けつけないときには、なんとかゼリーを少しでも食べてもらうようにはしていますが……。看取り介護になって6カ月生きた方もいますから、今日明日というわけではありませんが、いつ死んでもおかしくない状態にはなっています」

 私はショックというよりも、目がテンになった。ピンとこなかったのだ。在宅介護をしているとき、訪問医に言われたことがある。

「肺がんが進行すると、かならず呼吸困難になるので、痰の吸引や酸素吸入がご家族の仕事になります」

 母が検査入院をしたとき、頻繁に痰が絡んで、ゼーゼーと喉を鳴らして苦しみ、看護師に吸引をしてもらっている患者を見たことがある。母もあんなふうになってしまうのだろうかと思うと、切なかった。だから、特に息苦しさを訴えていない母が死に直面しているなどとは思っていなかったのだ。

食事を受けつけなくなる→点滴→痰が増えて苦しむ

 医師から、今後の方針の確認があった。

「食事を受けつけなくなると、死期は近くなります。点滴で栄養を補給するという方法もありますが、どうしますか?」

 母は日本尊厳死協会の会員で、終末期医療における延命治療を希望しない旨が明記された事前指示書(リビング・ウィル)にサインをしている。特養に入った頃にはすでに母の認知症が進行しており、本人はリビング・ウィルの意味さえ忘れていることを考えれば、母の意志と言えるのかどうかという一瞬の迷いもあったが、やはり元気だった母の意向を汲むことに決めた。

「自然に任せる」と伝えると、母の担当看護師が言った。

「自然に任せたほうが、ご本人も苦しまなくてすむんですよ」

 へえ、そういうものなのかと驚いた。

 病院では一般的に、食べたり飲んだりできなくなれば、点滴などによって栄養や水分を補給する。ホームの看護師が言うのは、病院で点滴治療をすると、かえって痰が増えて苦しむのだという。

「以前にも、おかあさんと同じように肺がんの入所者さんがいて、延命治療はしないことを希望していました。その方は肺に水がたまっていたのですけれども、驚いたことに、亡くなる頃には肺の水がきれいになくなっていたのです。もう、口からの水は受けつけなくなっていたのですけれども、肺にたまった水で必要な水分を補っていたんですね」

 その話に、私は釈然としなかった。「本当に、肺にたまった水で水分を補っていたのだろうか」と、少し懐疑的でさえあった。

看取り介護については、世田谷区立特別養護老人ホーム<芦花ホーム>の常勤医師・石飛幸三先生のやり方を参考にして、取り組んでいます」と、看護師は言った。

 私はそれから、石飛医師について調べてみた。彼は自身の経験から、「終末期の高齢者には過剰な水分や栄養を控えて、穏やかな最期を」と、著書や講演会で訴え続けている人だった。石飛医師が登場するNHKスペシャル『老衰死~穏やかな最期を迎えるには~』というテレビ番組を見たり、それに関する本も読んだりすることで、看護師の意図することが理解できるようになった。

 医師は、病気を治し、命を救うのが仕事だ。だから、そのためにさまざまな処置を施す。家族は、少しでも長く生きてほしいと願う。食べたり飲んだりできないままではすぐにも死んでしまうのではないかと不安になり、胃ろうや点滴などを施すことを希望する家族は多いだろう。双方とも、「自分が何も施さない」ために死を早めてしまうことを恐れる。

 しかし、そうすることで、胃に送り込まれた栄養剤が逆流して誤嚥性肺炎を引き起こし、そのために薬が投与されたり、さらにまた点滴を打たれたりするという悪循環も起こり得る。

 もう体は何も受けつけず、寿命を迎えようとしているのに、一生懸命燃料をつぎ込むから、顔や手足はむくむ。肺は水浸しになり、ゼーゼー言って、呼吸困難で最期を迎える。そのため、点滴やさまざまな薬を投与され続けた末に亡くなった人は水ぶくれの体になり、ずっしり重いのだそうだ。

看取り介護をする施設かどうかの確認を

 もちろん、もっと若い人の場合には医療に頼ったほうがいい。ただ、高齢者の場合には、医学を駆使して延命させるよりも、寿命を素直に受け入れて体に負担のない最期を迎えたほうが本人のためにもなるのではないだろうか。

 母は高齢のせいか、幸いにも呼吸困難に陥ることもなく穏やかに最後の日々を送り、3カ月後、危篤状態にもならないまま、ロウソクの火が消えるように静かに息を引き取った。

 どの特養でも、看取り介護をするわけではないと知ったのは、母が亡くなった後のことだ。もし、母の入所した施設が看取り介護を行っていなかったら、施設を追い出され、病院で死を迎えたのだろう。今となっては、その施設に巡り合ったことに感謝するばかりだ。
(文=林美保子/フリーライター)

林美保子/ノンフィクションライター

林美保子/ノンフィクションライター

1955年北海道出身、青山学院大学法学部卒。会社員、編集プロダクション勤務等を経て、執筆活動を開始。主に高齢者・貧困・DVなど社会問題をテーマに取り組む。著書に『ルポ 難民化する老人たち』(イースト・プレス)、『ルポ 不機嫌な老人たち』(同)、『DV後遺症に苦しむ母と子どもたち』(さくら舎)。

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