親の介護で、家族・親族間が呆然絶句の醜い争いの現実…無知な素人だけの話し合いで地獄
寿命が延びるに伴い、介護者の割合も増えていくであろうことは容易に想像がつく。介護で一番悩ましいのは、スタート年齢と経過状態、介護期間が読めないことにある。わからない上に、特に認知症は本人やその家族が受け入れがたいことから、“封印”する傾向になる。
だが、冷静に考えていただきたい。親の介護は子供夫婦や孫、親戚、職場、近所の人など多くの人がかかわるだけに、封印したことが問題を複雑化し、対策も後手後手になりがちだ。現実は、ホームドラマに出てくるような、和気あいあいとした仲の良い家庭ばかりではない。複雑な出自問題があったり、行方がわからない親族がいたり、嫁姑や小姑問題などがあったり、むしろ何もない家庭のほうが珍しい。
こうしたこともあって、介護を根底に抱えた相続関係の親族間トラブルが、調停や裁判にまで発展するというのは、うなずける話だ。
私事になるが、10年ほど前に家庭裁判所の調停申立て人の控室に行ったことがある。今は財産関係と離婚問題の控え室は区分されているようだが、当時は申立人が一堂に会した。筆者が見たときには、そこで世間話をしている人は皆無で、調停の案件について話し合うから、どんなことで調停を起こしているかは、筒抜けだ。
数人以上の親族が控室の一角に陣取り、「絶対に負けない! 1円も渡さない! がんばろう!」とシュプレヒコールを上げる一団があると思えば、勢いよく控室のドアを開けたかと思うと「向こうは嘘ばっかり言っている。ひどい!」と、その場で泣き崩れるなど、目の前に広がる光景に一切の誇張がない、呆然・絶句の連続だった。
ここまで感情がこじれては、和解までに時間も労力も相当なものになるはずだと痛感した。たとえ和解したとしても、対立する親族間の溝が埋まり、再び笑顔で全員が会することは至難の業であることに疑いの余地はないだろう。介護トラブルを知る、これ以上の現実はない。
「ここに至るまでに、なんとかならなかったのか」という思いは、生涯、払しょくされることはないだろう。同時に筆者にとっては、どんなに国や企業が介護サポート体制を整備したとしても、親族の遺恨が根底にあれば金銭トラブルも介護離職もなくならないとの教訓を残した。