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大ヒット曲「異邦人」を残しステージを離れた久保田早紀の意外な“今”

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※参考画像:『DREAM PRICE 1000 久保田早紀 異邦人』ソニー・ミュージックハウス(amazonより)


 あなたにとって「懐かしい」とは、どんな情景でしょうか? 1970~90年代の「懐かしい」を集めたのが「ミドルエッジ」。あなたの記憶をくすぐる「懐かしい」から厳選した記事をお届けします。

 今回のテーマは、「異邦人」。40年前の1979年にリリースされて大ヒットした「異邦人」にまつわるエピソードと、同曲を歌った久保田早紀のその後を紹介していきます。

三洋電機のタイアップでヒットした「異邦人」


 何人もの有名ミュージシャンにカバーされたため、リアルタイム世代でなくても口ずさめる程度に知っているであろう1979年のヒット曲「異邦人 -シルクロードのテーマ-」。歌ったのは、当時21歳の新人歌手・久保田早紀でした。

 1958年に東京都国立市で生まれた久保田。4歳からピアノを習い、中学校時代には「ガロ」のコピーバンドでキーボードを担当する傍ら、自作の曲を書き溜めていきます。共立女子短期大学に在学中、レコード会社CBSソニー(現ソニー・ミュージックレコーズ)の目に留まり、デビューを目指して本格的に曲づくりを開始。そして、21歳の時、大手電機メーカー・三洋電機のタイアップが付き、デビューが決定します。その三洋電機のカラーテレビ「くっきりタテ7」のコマーシャルソングに使用されたのが、デビュー曲「異邦人 -シルクロードのテーマ-」でした。

実は中央線の車窓から見た光景を歌った曲


 曲調と歌詞から異国情緒を感じる「異邦人」ですが、久保田によると、JR中央線の車窓から見えた景色にインスピレーションを受けて書かれた歌なのだとか。たとえば、冒頭の「子どもたちが空に向かい 両手を広げ……」というフレーズは、JR国立駅近くの空き地で遊んでいた子どもたちを電車から見て詞にしたといいます。タイトルも久保田がつけたものは「白い朝」だったそうです。それを「インパクトが弱い」という理由から、プロデューサーの酒井政利により「異邦人」に変更。それに合わせて、オリエンタルな編曲が施されていったのでした。

還暦を迎えた現在は音楽宣教師として活動中

 

※参考画像:『ふたりの異邦人 久保田早紀 久米小百合 自伝』いのちのことば社(amazonより)


 1979年10月1日にリリースされた「異邦人」は、オリコン初週55位からじわじわと上昇し、同年12月10日には1位を獲得。以降、7週連続首位に君臨し、売り上げは140万枚を突破しました。しかし、その後9枚のシングルをリリースするも、特大ヒットとなったデビュー曲のイメージを覆すことはできず。デビューから5年後、音楽家・久米大作との結婚を機に芸能界引退を決意したのでした。

「異邦人」の発表から40年が経過した現在。久保田は本名の「久米小百合」名義で、かつて子どもの頃に日曜学校で通っていた教会に自身の音楽のルーツを求め、コンサートを行う音楽宣教師として活動しています。61歳となった今もなお、各地のキリスト教会などでその姿を確認することができるようです。

 この連載では、次回以降も皆さまの脳裏に「懐かしい」が蘇りそうな記事を提供してまいります。「こんな記事は?」「あのネタは?」なんてお声も、お待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。
(文・構成=ミドルエッジ)

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