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「スリランカに帰れば殺される」…非人道的な日本の入管、難民認定せず追い返す

文=深笛義也/ライター
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福島第1原発事故 入管に外国人殺到(写真:アフロ)

「スリランカに帰れば殺されます。だけど、日本の入管(出入国在留管理庁)は私を難民だとは認めてくれません」

 フェルナンデスさん(59)は、そう話す。

「妻の父が党員だったこともあって、私は1993年に統一国民党(United National Party)に入党しました」

 統一国民党は当時、スリランカの政権与党だった。だが、1994年の総選挙で人民連合(People’s Alliance)に敗れ野党となった。その後も、フェルナンデスさんは統一国民党の党員として積極的に活動した。統一国民党は2001年に政権を奪回したが、2004年に選挙で敗北し、統一人民自由連合(United People’s Freedom Alliance)に政権を奪われた。

「地方を回っていて、とても貧しい村があって、そこには水もなかったのです。統一国民党の仲間たちと一緒に、村に貯水池を造りました。そうしたら、その村の人々は皆、統一国民党の党員になりました。そんなことがあって、2006年から2007年の間、私に対する攻撃が強まりました。ヘルメットを被って顔をマスクで覆った人物が来て、『いつでもお前を殺せる』と言いました。彼は銃も持っていました。政府から頼まれた地下組織の者でしょう。誰が指示したのか、おおよその見当は付いています。ナンバープレートを隠した車に、つきまとわれたこともあります。統一国民党のミーティングがあって、バスを待っている時に5人くらいの男たちが殴りかかってきました。手に大きな石をぶつけられました」

 フェルナンデスさんは、手を開いて見せてくれた。傷跡がはっきりと見て取れた。

「スリランカに法はないと同じです。警察に訴えてもムダです。警察の中で殺されることさえあるくらいです。スリランカの国内で逃げていましたが、それが限界に来て、2008年6月に日本に来ました。自分の本当のパスポートでは出国できないので、友人のパスポートの写真だけ貼り替えた偽造パスポートで出国、日本に入国しました。私の長男はその時11歳でしたが、『お前の父さんはどこにいる』と地下組織の者に問い詰められて、暴行を受けて3日間入院しました。そういうことの心労で、義父は心臓発作で亡くなりました」

 あるカトリック教会からの支援を受けて、フェルナンデスさんは日本での生活を始めた。

「工場に通う時に、バスも電車もないので、運転免許はなかったけど仕方なく車で通っていました。無免許運転で逮捕されて、それで不法入国だということで、入管の収容所に入れられました。その時に偽造パスポートで入国せざるを得なかった事情も話しました。翌年に仮放免ということで収容所を出ました。仮放免の期間は1カ月とか2カ月なので、そのたびに入管に行って話をしてサインをもらわなければなりません。仮放免の間は仕事しちゃいけないことになっています。それでは生活できませんから、工事現場や塗装の仕事などなんでもやっています。そんな状態が今まで続いているんです」

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