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片山修「ずだぶくろ経営論」

マツダSKYACTIV-X、世界震撼のガソリンエンジン性能向上達成への10年間の戦い

文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家
マツダSKYACTIV-X、世界震撼のガソリンエンジン性能向上達成への10年間の戦いの画像1
マツダ、シニアイノベーションフェローの人見光夫氏

 新型エンジン「SKYACTIV‐X」搭載の「MAZDA3」が2019年12月に発売された。「SKYACTIV-X」は、マツダ独自の燃焼制御技術「SPCCI(火花点火制御圧縮着火)」によって、ガソリンエンジンにおける圧縮着火を世界で初めて実用化した次世代ガソリンエンジンだ。

 アクセルペダルを踏んだ瞬間、スポーティーな走りを実感した。グッと踏み込むと、スッと力を持って出てくる。山口県の「マツダ美祢自動車試験場」で開かれた試乗会で、新エンジン「SKYACTIV‐X」を搭載した試作車に乗った時の感想だ。

「SKYACTIV-X」は、“ミスター・エンジン”ことシニアイノベーションフェローの肩書を持つ人見光夫の存在なくして語れない。一般的に、日本の会社はイノベーションが苦手だとされる。マツダはなぜ、「SKYACTIV‐X」の開発にこぎつけたのか。人見は、いかにしてイノベーションの芽を育て、花を咲かせることができたのか。

「もう、やるしかないな」

 人見は、覚悟を決めた瞬間があった。欧州議会は07年2月、走行時の二酸化炭素(CO2)平均排出量を1キロメートルあたり120グラム以下にする規制案を公表し、自動車メーカー各社に対し、環境負荷低減に向けた研究開発を迫った。マツダを含め、当時の自動車メーカーの平均的な1台あたりのCO2排出量は、180~190グラムだった。欧州の規制がいかに厳しいものかがわかる。

「あまりにも激しい規制だったので、実際に法制化はされないだろうと思っていた。でも、一向に引き下げられる気配はない。本気らしい、いよいよ出番がやってきたと思った」と、人見は語る。

 当時、燃費のいいクルマの主流といえば、電気モーターを併用するハイブリッドカーだった。トヨタは1997年、世界初の量産ハイブリッドカー「プリウス」を発売した。燃費を従来のガソリン車の半分に減らした「プリウス」の衝撃は大きかった。ホンダと日産もハイブリッドカーをラインナップに加えた。

 ところが、マツダはこの流れに乗らなかった。あえてハイブリッドには手を広げなかった。いや、広げられなかったというのが、正直なところだ。というのは、ハイブリッド方式の開発にはお金がかかる。モーターや電池、インバーターなど、高価な部品を必要とする。トヨタは初年度、「プリウス」一台につき50万円の赤字で、つくればつくるほど赤字が積み上がるといわれた。生産規模がトヨタグループの8分の1にも満たないマツダには、ハイブリッド方式の開発を進める費用を賄う余裕がなかった。

「資金の少ないうちがそれをやったら、大変なことになる。最初からアウトです。できるわけない。絶対に儲かりませんよ。高くなり過ぎてね」

 人見は、そのように振り返る。

“外圧”の活用で社内の反対を突破

 マツダのディーラーからは、「ハイブリッドカーがないと、生き残れない」という悲痛な叫びが聞こえてきた。にもかかわらず、ハイブリッド方式を手掛けなかったのは、火の車の台所事情に加えて、人見が内燃機関の性能向上に確固たる自信を持っていたからである。内燃機関に改善の余地がないのならば、確かにお手上げだが、しかし、まだまだ改善の余地があると考えていたのだ。

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MAZDA3

 一方、欧州の自動車メーカーは、エンジンの排気量を小さくすることによって燃費を改善し、出力性能の低下をターボで補う、いわゆる「過給ダウンサイジングエンジン」に取り組んでいた。マツダは、それも選ばなかった。

「ダウンサイジングも、やはりコストが相当高くつく。コンベンショナルなエンジンで頑張るのがコスト的にもいいし、性能的にも絶対にいいわけです」と、彼は譲らなかった。過給ダウンサイジングエンジンには、過給機や加圧された空気を冷やすインタークーラーなどの部品が必要になる。しかも、排気量を小さくして、燃費を稼いだとしても、エンジンそのものの効率を高めたことにはならない。それは、技術者としての誇りが許さなかった。人見は、自分たちの考える方式が燃費もコストも優位であると確信していた。

 あくまで内燃機関の可能性にこだわり続ける人見に対して、社内からは「このままでは後れをとってしまう」と、反対の声があがった。外部からも、「持たざる者の遠吠えに過ぎない」と酷評された。彼は、一計を案じる。“外圧”の活用で社内の反対を突破した。

「欧州のCO2排出規制案という“外圧”をむしろ、利用したんです」と、人見はいう。

 組織で働く以上、抵抗勢力との闘いは避けられない。だが、それを乗りこえなければ新しいことはできない。“外圧”を盾にとって、反対勢力を抑え込む作戦に出た。つまり、一点突破を図ったのだ。これが転機となる。

「“外圧”がなければ、あのとき内燃機関の強化などといった、時代遅れで、ぶっ飛んだ発想は社内に受け入れられなかったと思います。なぜ、そんなリスクをかけなきゃいけないんだ。大丈夫なのかという声に圧倒されていたでしょうね。しかし、世の中が要求しているということであれば、リスクをかけてでもやるしかない、と社内も納得せざるを得ないと思います」

 人見に「それは、開き直りですか」と問うと、一瞬、考えたのち、「まあ、開き直りかもしれない」と口にし、さらに一呼吸置いたあと、次のように力を込めて語った。

「じゃあ、ほかに対案があるんですかということなんですよ。あれば、どうぞ勝手にやってくださいということですが、なかったら、やるしかないじゃないですか」

 人見は、ここでジャンプした。すなわちリスクをとり、内燃機関の改善に取り組む。安定志向の大企業にはできない挑戦だ。

「どんな会社でも、厳しい規制がきたらね、チャレンジせざるをえないと思いますよ」と、彼は言う。

吸排気に関わる研究成果、マツダのエンジンのトルク向上に貢献

 人見は子供のときから、飛行機が好きだった。クルマには、さほど興味があったわけではなかった。

「飛行機を開発したいと思ったことはないけれど、見るのがえらく好きだった。高校生のときには、パイロットになろうと思ったこともあった」

 79年に東京大学工学部航空工学科を卒業し、大学院を修了後、当時の東洋工業(現マツダ)に入社した。志望動機は単純だった。マツダの本社のある広島県の隣県の岡山県出身だからである。入社後、エンジン技術開発課に配属になり、高圧縮比化の研究に従事した。技術者としてエリートコースを歩んだわけではない。

「あのころは、エンジンを回して遊んでいたような気がします。こうやるとこうなるのかなどと、いろいろなことを試していましたね」

 会社には、必ず陽の当たらない部署があるものだ。当時の先行開発部門は、具体的な製品開発には直結しないことから、存在感が薄い部署だった。「僕は、ほったらかしにされていたんですよ」と苦笑する。

「先行開発は、陽の目を見ないんだけど、関心が持たれない分、好き勝手やっていても何もいわれなかったよね。とはいえ、いつも虚しさを感じていたね」

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SKYACTIV-Xエンジン生産ライン

 探究心旺盛な技術者には、「ほったらかし」状態は一見、自由気ままな開発環境にも思われるが、無視されるも同然の状況だった。モチベーションを持ちようもなく、彼は広島駅近くの繁華街の“流川”で飲んだくれた。

「ほったらかし」の背景には、マツダの経営環境があった。バブル崩壊で経営が悪化し、巨額の赤字を抱えたマツダは、倒産の危機に瀕し、米フォードの傘下に入った。売れ行きに直結しない先行開発部門の予算は、真っ先に削減された。先行開発部隊の多くのエンジニアが、フォードとのエンジンの共同開発の仕事に引っ張られていった。しかし、人見はその後も、エンジンそのものの性能向上の追求を続けた。たとえ陽の当たらない仕事であっても、技術を信じて黙々と研究に明け暮れる。

 人見が熱心に取り組んだのは、吸排気系統の可変制御だ。エンジンの筒内に入る空気量を制御したときの性能変化を調べる地味な研究である。吸排気に関わる研究成果は、のちにマツダの各種エンジンのトルクの向上に貢献する。

「ほったらかし」だった社員が「出る杭」となり、“ミスター・エンジン”と呼ばれるまでの存在にのしあがるのは、彼が50代になってからだ。人間万事塞翁が馬とはいえ、雌伏期間はあまりにも長かった。典型的な大器晩成型にしても、30年近い雌伏期間はいかにも長すぎる。

高圧縮化エンジンをつぶそうとするフォードに反発

 トヨタが環境対応車としてハイブリッド車を推進したのに対して、フォード本体はその頃、ダウンサイジングエンジンに取り組んでいた。マツダに対しても、ダウンサイジングエンジンを推奨し、グループ共通のエンジン開発をと望んでいた。人見は、次のように述べる。

「フォードは、マツダに対して次の世代のエンジンも、一緒のダウンサイジングエンジンを使うべきだと思っていたようです」

 フォードにしてみれば、世の中の主流から外れている人見の開発方針は、許容できるものではなかった。あの手この手でつぶしにかかった。

「フォードからは、双方が開発しているエンジンを機能面、コスト面で比較するようにという指示が出されました。そんな比較は意味がないと思った。だいたい、技術者にそんなことを言っても、自分の技術のほうが優れているというに決まっています。だから、面倒くさくてね。めちゃくちゃ嫌でしたよ。徒労感ばかりが募りました」

 こう彼は語る。フォードは、定期的に開発に関するレビューにやってきた。

「まったく馬鹿げている」――。

 レビューに訪れたフォードのエンジニアが、人見の高圧縮化エンジンについて、そういっていたと、人見は人づてに聞いた。「馬鹿げているなんて、よく言うわ」と、人見はとりあわなかった。

「失敗しても、もう助けられない」

 当時の社長、井巻久一は、フォードの上層部から釘を刺された。大株主のフォードの意向を無視したかたちで開発を進めることに、マツダの社内からも異論があがった。

「人見のやることにつきあっていても、失敗するに決まっている」「早く、過給ダウンサイジングエンジンに取り組んだほうがいい」――などと、陰口が聞かれた。四面楚歌だった。

「燃費が全然出ない時期があって、そのときは苦しいと思いましたね」

 しかし、人見は研究をやめようとは一度たりとも思わなかった。彼の風貌は、およそ神経質な技術者タイプとは正反対だ。村夫子然とした印象だ。おっとりしている。喋り方も、威圧的なところはまったくない。ただ、彼のエンジニアとしての性根の座り方は、尋常ではなかった。

「世間と同じことをやっていたら、最初は勝てても、すぐに追いつかれて負けるに決まっている。そうなったら、わずかずつの競争をずっと続けることになります」

 そちらのほうがよっぽど苦しい、と人見は考える。彼は、「答えは必ずある」――という信念の持ち主だ。どんな困難な課題であっても、こねまわして得意の分野に引っ張り込めば、「答えは必ずある」――という。

「理屈の裏付けがあったのでいけるだろうとは思っていたのですが、それに加えて、優秀な技術者たちが、僕のいうことを『信じてやります』といってくれた。彼らがいる限り、大丈夫だと思った」

 彼は、部下からの信頼が厚かった。当時、パワートレイン技術開発部の工藤秀俊(現執行役員、R&D管理・商品戦略・技術研究所担当)は、そんな一人だった。工藤もまた、人見と同様、エンジン開発一筋に歩み、人見の高圧縮化エンジンの開発を支えた。人見は、組織のために動くというより、黙々と研究開発に勤しむタイプだ。一心不乱に開発に没頭するあまり、ほかのことが目に入らなくなることもあった。工藤は、そんな人見が思う存分、仕事に集中できるように徹底的に気を配った。コストと納期の管理は、工藤の役目だった。

「人見さんは、高い目標を掲げて、突き進んでいくわけです。でも、会社ですから、納期もあるし、予算もある。だから、誰かが見ていなければいけないし、ときには、厳しいこともいわなければならなかった」と、工藤は振り返る。人見は、あの人のためなら一肌脱ごうと思わせる人間的魅力をタップリと備えていた。

「サステイナブル“Zoom‐Zoom”宣言」

 2000年代に入ると、クルマのつくり方は大きな変革期を迎えた。各メーカーは、車両を構成するモジュールを組み合わせてシンプルに設計する仕組みの再構築に乗り出した。2010年代に入ると、独フォルクスワーゲンが「MQB(モジュラー・トランスバース・マトリックス)」、ルノー日産が「CMF(コモン・モジュール・ファミリー)」を発表した。

 2000年代に親会社のフォードが進めていたのは、プラットフォームや部品の共通化だった。しかし、マツダはフォードと一緒にプラットフォームの共通化を進める中で、それには大きな問題があることに気づき、マツダの規模で考えたときにもっとも効率的な道を歩むようになる。繰り返しになるが、当時、年間生産台数120万台に過ぎなかったマツダが、大手自動車メーカーと同じことをしていたのでは、競争を勝ち抜けないからだ。

 フォードはそのころ、ボルボやジャガー、レンジローバーなどを傘下におさめていた。同じセグメントのクルマのプラットフォームや部品を共通化し、ボディーのデザインや装備でブランドの個性を出す戦略をフォードはとっていた。確かに、フォードのプラットフォームを使えば、開発費を抑えられるかもしれない。ところが、マツダの規模では、単一車種でラインをフル稼働させられないし、部品の共通化のメリットも享受できない。それに、部品を共通化してしまっては、マツダの個性が出しづらくなる。

「一機種を大量生産する大手メーカーに対して、われわれのような多品種少量生産を目指す会社は、工夫せざるを得ないわけですよ」と、人見は言う。

 マツダは07年、“走る歓び”と“優れた安全性能”を二本柱とした技術開発の長期ビジョン「サステイナブル“Zoom‐Zoom”宣言」を発表した。その具体的な取り組みとして、前年の06年、大幅な機能改善を目指して、スカイアクティブすなわち新規エンジンやトランスミッションの開発を始めた。

 前代未聞のチャレンジだった。マツダは2015年までに、生産する乗用車の平均燃費をこれまでの比較で30パーセント向上させる方針を発表した。その課題を克服するための手段として、エンジンの燃焼性能そのものの向上を目指した。

 新しいエンジン開発を主導したのは、人見だ。ついに出番がきたのである。人見は52歳だった。定年まで7年しか残っていなかった。大勢の商品開発の社員が、先行開発部に集結した。当初、先行開発部隊は30人にすぎなかったが、次第に人員は増加された。といっても、100人に満たなかった。

「車両側がコモンアーキテクチャーだ、モノづくり革新だと言っている。じゃあ、肝心のエンジンはどうあるべきかを考えようと本格的に取り組み始めたんです」と、人見はいう。

 さらに、マツダは新機軸を打ち出した。理想の骨格を追求する「コモンアーキテクチャー構想」と、理想の工程を追求する「フレキシブル生産構想」を両立させるため、「一括企画」なる新たな開発方針を打ち出したのである。

 一括企画は、セグメントを越えて、およそ5年分の新車投入をひとくくりにして、クルマ全体や部品を企画する手法だ。車種間で構造や特性に共通性を持たせるのが特徴である。結果、開発や生産の効率が上がり、新たな技術や部品によるコスト増加を吸収できるメリットがある。

(文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家)

※後編に続く

片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家

片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家

愛知県名古屋市生まれ。2001年~2011年までの10年間、学習院女子大学客員教授を務める。企業経営論の日本の第一人者。主要月刊誌『中央公論』『文藝春秋』『Voice』『潮』などのほか、『週刊エコノミスト』『SAPIO』『THE21』など多数の雑誌に論文を執筆。経済、経営、政治など幅広いテーマを手掛ける。『ソニーの法則』(小学館文庫)20万部、『トヨタの方式』(同)は8万部のベストセラー。著書は60冊を超える。中国語、韓国語への翻訳書多数。

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